ワクワク教の信者

ワクワク教の信者というメタファーを私は時々使う。


このメタファーは以下のような意味を含む。

しんどいことへの耐性が弱い。
めんどくさいことを避けて通ろうとする。
自分の能力やスキルを磨くための努力をしない。
現実との折り合いの付け方が下手。
自分の感情のコントロールができていない。
忍耐力が低い。
すぐ諦める。
人とのコミュニケーション能力が低い。
だって、ワクワクしないから、という理由で人生の責任から逃れる。
文章読解能力が低い。
自己啓発系をツールとして使うのに向いていない。


それをまとめて、ワクワク教の信者と呼んでいる。
ゲラゲラ笑いながら使わないと、この言葉は悪口だ。
だから、あんまり使用をお勧めしない。
相手のことを好きな時にだけ使っていい。

私は面白がってちゃかしているだけなので、悪口は言っていない。
なおかつ、そう思った時に、本人に直接言う。


つまり、ワクワク教の信者の人生が変わらないのは、夢が叶わないのは、ワクワクしないからではなく、それらを避けて通るからでっせという意味。

早く走りたい人は、絶対に筋トレが必要だけれど、ワクワクしながら筋肉の痛みに耐えるのは難しい。
だから、筋トレはしない。
だってワクワクしないから?

ほんとに本にはそう書いてた?
書いてないはずよ。

早く走りたいなら筋トレは必要。
筋トレは感情は関係しない。
筋トレはしんどいに決まってる。
やりたい日に、やりたいやり方でしか筋トレしない人は、オリンピックには出れない。



それは、当たり前すぎたから、本には書かれてないだけだ。
紙面もったいないもの。


夢を叶えるのと、早く走るのは似てる。


自分の人生の責任を自分ではなく自分の信仰に押し付けた時、信じるものは、ただの依存性を持つ麻薬に変わる。
その快楽から人が抜けるのは、なかなか難しいけれど、無理ではない。


まだ、間に合う。