クレーム処理という平和活動
最近、もう少し早く、これに気がついていたら、私は、もっと楽に会社員生活を送れたなと思った。
会社員時代、私の仕事には、クレーム対応や事故処理が含まれていた。
父が、「頭を下げる時、君が頭を下げているんじゃない。相手は君を通して会社を見ている。だから、相手が何を言っても君は気に病む必要はない。相手は君自身について、話しているんじゃない。同じように君に誰かが頭を下げても、君が偉くなったわけではない。肩書きや会社の看板があるだけで、君自身は何も変わらないということを、よく覚えておきなさい」と教えてくれていたので、怒っている人が口にする様々は、私の心を痛めなかったが、楽しいものではなかった。
私はただ、「上を出せ」と相手が言ったら、私はいらないと言われるのと同じだと考えていたので、自分のところで納められるようにだけに必死だった。
書いた報告書の枚数はえらいことで、社内でNO.1だと、社長には言われた。
もちろん、頭を下げた回数も。
当時、私は、自分は「ごめんなさい」の言い方が下手くそだから、きっとそれを学ぶために、今、頭を下げ続けているのだろうと思うことにしていた。
もしくは、「前世」の行いが悪かったに違いないと。
前世というのは、なかなか便利な概念だ。
あるかないか、知らんけど。
時流れ。
私は、クレーム処理に再び携わることがでてきた。
なぜだか、そういうことになった。
この度は、絡む金額が小さいが、相手は毎日の生活に関わることなので、腹立ち具合は同じようなものだ。
自分が置かれた場所も同じだ。
中間地点。
その中で、私は、以前とは違うことに気がついた。
それは、クレームの現場には平和がないということだ。
そして、ただ、平和がもたらされることを願いながら、事にあたることにした。
やがて、私は気がついた。
これは、平和活動だ。
そして、私の頭の中で、クレーム処理=平和活動の図式が完成した。
私は、平和が好きだ。
そうか、私は、私が好きなものをこの世に増やすために、行く先々で、クレーム対応に当たるのかと思った。
そこに平和を、が、私に与えられたミッションかと。
知らんけど。
事実としては、私はただ、クレームのある場所にいてしまうだけだ。
以前も今も。
だが、私の世界はまるで違う。
私は、視点が変われば全てが変わるというのは、ホンマやなと思った。
ただ祈ろう。
そこに平和があるように。
私は、そう決めた。