猫を見る感覚で人間を見ろ

猫、偉大。

大事なことは、猫と学ぶ我が人生。


猫その1と私は、また、動物病院にいた。

今日でひとまずは終わりだ。

無罪放免。

猫その1は、人生何度めかの命拾いをした。



そして、猫を自転車の前カゴに乗せて家に戻る途中、私の頭の中に、「癒す」という言葉が浮かんだ。

私の中の「癒す」という言葉の意味を変えろという感じ。


そして、傷を治すことを癒すというのではない、と、深いところから何かが私に告げた。

自分のこれまでを考えろ。

君が一番癒されたのは、いつだった?と。


一枚の写真、と、私は思い出した。

一枚の写真が、全てをチャラにして、時間を進めたこと。

どこかに書いている。

一枚の家族写真。



そこが癒しだ、と、何かが告げた。

そこまでやって、はじめて、癒しだと。


傷ついた心が癒されたならば、必ず、現実も癒される。

だから、最初から、現実にフォーカスをあてて、最初から、幸せを味わうこと、生きる喜びを味わうことを求めれば話は早いと、何かは言った。


そして、何かは、内側から言った。

つまり、君は、君が苦手だと思い込んできた「癒し」をずっと、仕事としてやってきたということになる。

君の中の、癒しという概念の「定義に問題があった」だけだと。



聖人君子になることを、癒しとは言わないと、何かは言った。



猫からなら、君は学べるだろう?

猫と同じように、人間も愛せ。

猫を見る感覚で、人間を見ろ。



信仰の薄いものよ、と、何かはにやりと笑った。