徒然
「絶対に感染したくないのよ」と、きつい目をして、夫の母が言った。
夫の母は77歳。
外交的で社交的な彼女は、数ヶ月前まで、非常にアクティブな日々を過ごしていた。
毎日、午前中はスポーツクラブに行く。
午後は週に一二度、友人と出かける。
二か月に一度くらい、旅行に行く。
習いごともしていた。
今、彼女は、午前中に散歩して、あとは、時折買い物に行く以外は家にいる。
電車に乗ったのは、この数ヶ月で一度だけ。
感染者の波が一度収まった時、「出かけるなら今ですよ」と、私は彼女に言った。
また、すぐに、感染者は増える。
安心して出かけるなら、今しかないですよ。
この流れはしばらく続くから、今は大丈夫、今は注意が必要と、頭を切り替えながら進まないと、疲れ果ててしまいますよ、と。
「怖い」と、夫の母は言った。
同じ頃、教会の礼拝で、久しぶりに会った夫の母と同じ歳のSさんの表情が曇っていた。
Sさんは、いつも元気だった。
やはり、アクティブな人。
「多分、私はかかったんです。あんまり周りは心配してなかったけど、ブログで実況中継してたんです」と、私は笑った。
ブログを読んでいたらしいTさんが、「ノンフィクションのドキュメンタリーみたいで面白かった」と言った。
Tさんは、間で一度メールをくれた。
「感染するとはあなたらしい。みんなと一緒にしんどい思いをして、みんなを励ますのね」というようなことを書いていた。
Sさんは、そう、と、静かに笑った。
気持ちがしんどいのだそうだった。
私の両親は、なぜだか、やたら元気だ。
母は「地震よりはまし」と言いながら、なぜか、現在、地震の避難グッズを揃えることに余念がない。
楽しそうに準備していて、あれを買った、これを買ったと報告してくる。
どうやら、13キロの芝犬を背負って逃げるつもりらしい。
加えて、母は、小規模ながらキャリア35年の投資家である。
騒ぎは、彼女の目には、別のことに見えていて、彼女は、「これから」を考え予測し続け、パソコンと向かいあっている。
77歳の父は、なんら流行病の影響を受けず、ずうっと平常運転である。
彼は、死ぬときは死ぬ、それより毎日楽しく過ごしたい派。
手洗いうがいも、毎日、いまだに怒られながら続けているが、「わしはかからん」と自信まんまんだ。
自転車でうろうろしている。
外出自粛中は、一日五回も犬の散歩に出かけていた。
彼はなんとしても、外に出たい男なのだ。
「私は、よくわかった。お父さんとお母さんは、適当だから元気なのよ。真面目な人が、今はしんどい。」と言った。
母は言った。
かかる時はかかるし、死ぬときは死ぬのよ。
気をつけてはいるけれど、まあ、仕方ないわね。
病気は人を選ばないもの。
シニアもいろいろ。
私は、ともかく、実家はほっておいていいと理解したのだった。
夫は、父と同じで、平常運転中だ。
この人はもともと内向的で楽天的なので、外出できないストレスがない。
好きなだけ映画を見て、小説を読んで、一人暮らしを満喫中だ。
「あなたのお母さんなんだから、たまには、お母さんに連絡して」と、私に言われてからは、夫の母に、時折、近所で撮影した花の写真を、コメントなしに送っているようだ。
(あの子はなぜ、写真だけを送ってくるのか?と、夫の母がぼやいていた。)
父母夫、みな元気。
つまり、私が気にかけるべきは、他の人だということだ。