目を鎖国
目を鎖国にしたり、開国したり。
私は、時々、目を鎖国する。
世界のニュースを見ていると、死にたいくらいに絶望感と無力感に襲われることがあるからだ。
日本で、マスクで熱中症注意のニュースが流れ、猫が用水路に落ちた人を助けて表彰されていた日。
よその国には、今年、生まれたばかりの女の子の赤ちゃんがすでに1億人以上消えた話や、夫から虐待され売り飛ばされる女性たちがいた。
名誉殺人とかで、父親や夫に殺される女性たちがいた。
私は、そういうニュースを見ると、絶望感を感じる。
とりあえず、日本はほっといていいから何とかしなさいよと、神さまに祈るくらいしか、できることもない。
日本のニュースに目を戻すと、コロナ離婚やら、コロナ鬱やら。
個人の人生に、人が集中できる状態がそこにある。
離婚でもなんでも、好きにすればいい話。
離婚したから殺されることもない。
どう悩もうが、自分の人生について考えられることそのものが、もう幸せなことだ。
気がついてない人は多いけれど。
それは、幸せの中にある不幸だ。
命の尊厳は大事に扱うというコンセンサスがある国だから。
それすらない国が、世界には山ほどある。
自分の人生を考える権利を、子供と女性が持てない国がある。
弱者は、死ぬなら死ねという国もある。
または、お金がないから、救いたくても救えない国もある。
日本人は、ほんとに、とっとと全員、幸せになる義務があると私は思う。
豊かになれるだけ豊かになって、幸せになれるだけ幸せになって。
そうしたら、救える人たちが、世界にたくさんいるような気がする。