ヤンキーのおかげで姿勢がいいはなし

中学生。


時は昭和。


雰囲気がよくわからない人は、「今日から俺は!」を参考にするといいと思われる。


あれよりは大人しい。

あれは、もう少し上の学年だ。

私の学年は大人しい学年だった。

しかし、ヤンキーはいた。



Mが絡んでたから、多分三年生の時。


ある日、私は、「私たちをバカにしてる。生意気や。気に入らない」という理由で、同じ学年のヤンキー女子に呼び出された。


私は、ヤンキーのことを、勝てないものと戦うアホだと思っていた。

中学生がどうやって大人に勝つ?

頭悪いねん。


しかし、尾崎豊は好きだった。



ある国語の教師だけは、私はタチが悪いと言った。

「お前みたいなんが一番タチが悪い。成績がいいから、髪が少々茶色かろうが、制服のベストの裾をつまんでようが、お前は風紀検査では引っかからない」と言ったが、私はいたく真面目だった。

あんまり学校にちゃんと行かなかっただけだ。

授業は簡単で面白くないし、学校があまり楽しくなかったので、毎日、どうやれば明日は休めるかを考え、家でひとりで本を読んだり、ピアノを弾いていただけだ。

放課後は、友達と遊んでいた。


高校に行けませんよと言われたので、中学三年生は、それでも、比較的学校に行った。

遅刻はよくしたけれど。



髪の毛を脱色するのは、ただ、流行していたのだ。

自分たちと同じ年の女の子が主人公の漫画の影響で。


私が髪をほんの少し脱色したり、制服をチョコっといじっていたのは、その方がおしゃれだと思ったからで、そこに思想はなかった。

あえてあったとしたら、おしゃれじゃないなら私は外を歩きません!という思想くらいだ。

私は、前髪が理由で、学校を早退した中学生だった。


愛読書はオリーブ、セブンティーン。

別冊マーガレット。(漫画)

そして、明星。


私は少年隊のヒガシと大人になったら結婚しようと思っていた、非常に薄っぺらい、悩み多き、レベッカ好きの中学生だった。



ある放課後、思想のかたまりヤンキー女子に私が呼ばれていると、Mが言いにきた。

それで、私はヤンキー女子3人が待つ教室へ、Mと行った。


タイマンだという。(昭和!)


その中のずば抜けたアホヤンキー女子が、巻き舌で、私に何かいいはじめた。

名前は忘れた。

髪の毛をコテでクルクル巻いていた。

(わからない人は、今日から俺は!参照。)


私は静かに淡々と理屈で答えた。

こいつはアホだ、理屈でなら勝てると踏んだのだ。

「それは、あなたがおかしいんでしょう?」と、私は、わざと標準語で話し続けた。


ヤンキー女子の理屈はむちゃくちゃだった。

ようは、ヤンキー男子の誰かが私を好きで、それが気に入らないということのようだったが、そんなもんは知らん。

だいたい、そいつは誰だ?


「それ、私に何か関係あるの?」と、私は言った。

全く関係ない。

私はそもそも、その男子を知らん。

私は団塊ジュニアで、1学年は16クラスあり、全員は知らなかった。


やりとりがしばらく続いて、周りにいたヤンキー女子2人が、私にくってかかったヤンキー女子に言った。

「あんた、もうやめとき。負けるで。」



それで、私は教室から解放された。


あ〜、怖かった!と、私は思った。

一週間前、友達が、ボコボコに殴られていたのを聞いていたからだ。

よかった、殴られなくて。


翌日、私は、ヤンキー女子三人とすれ違った。

私にくいついたヤンキー女子が「昨日はどうも」と言ったので、私は、ニコッと笑って、「こっちもごめんね」と言った。


しばらくして、Mが教室にきて、得意げに私に言った。

「謝ったんやろ?あんたの負けやな。」


私は思った。

ヤンキーとは関わりを持ってはいけない。

めんどくせえ。


Mは続けて言った。

誰々は、Y(私)の背筋が伸びてて姿勢がいいところが好きなんだって。


私は、誰々が誰かは、わからなかった。

私は誰々を知らなかった。



しかし、私は、「背筋が伸びてて姿勢がいい」という褒められたそこだけ、ちゃんと採用した。


以降、今に至るまで、私は時折姿勢を褒められる。


それは、このタイマンのおかげである。

薄っぺらい女子中学生に「もてる」はパワーワードだったのだろう。


これは、にやりとしてしまう記憶。