11年のキャリア

だらだらホームページは、土曜日の夜、友人と話して帰ってきた後、一気に作業が進み始めた。
ホームページの話など、1秒もしなかったのに面白いことだ。
人と会って話すとこういうことがあるから、面白い。
相互作用ってやつね。

普通、ホームページの進捗状況など公開はしないが、今回は始まりからここまで記録し続けたので、これも記録しておこう。

作業は、佳境に入っていて、私はプロフィールに取りかかった。
そして、気がついた。

書けるセッションのキャリアが何もないから人生年表を書いて面接に持っていったあの日から、11年の時が流れ、私には、しっかりしたキャリアが出来上がっていたこと。
時間を積み重ねることでしか手に入らないもの。

いつでもやめると思いながらでも、ちっとも使命感を感じずにでも、続けてきたことは、時間がたてば、キャリアになる。
一つだけ、付け加えるならば、一つ一つのセッションについては、私は毎回全力投球だ。

お客様は神さまである。
そして、そこにあるのは、誰かの大事な人生だから、仕事そのものは丁寧にこなしてきた(つもり!)

そして、セッションをする時だけは、私はちゃんとした人になる。
ヨコシマさんも、下心さんも、その数十分だけはなりをひそめ、私は自分で言うのもなんだが、愛に溢れた人になる。
ありゃ、はっきり言って、別人である。
私じゃないみたい。
誰か別の人がセッションはやっていると言っても過言ではない感じすらする。

キャリアは、私が積んだのではない。
その、はっきりいって別人のひとがせっせと積み重ねたのだ。
ただ人の幸せだけを願い続けた人が積み重ねたキャリアだ。

胸はって書いたらいいねん、と、私は思った。

セッションをはじめた頃、同時期に始めた人は、たくさんいた。
3年で半分消えた。
5年で8割消えた。
私の周りに、同じ時期にセッションを始めた人で、今、残っているのは、私だけだ。
先輩はいる。

そもそもはじめた経緯が、生活費がやばいと言う理由であるし、一番やる気が低く、だらだら、文句いいながら続けてきたけれど。

そして、私はプロフィールを書く前に、もう一つ気がついた。

私は、セッション的なことを50歳くらいになったら始めるつもりでいた。
それで早くから勉強を始めていた。
30歳になる頃には、そう決めていた。
それまでは、自分のことを先にやろうと思っていたのだ。

生活費が足りませんと言う話の流れで、35歳から始めたことだけれど、今の私の年齢は、すでに50歳くらいだ。


さて、やりましょか、と、私は思った。

どっちにしても、自分がやるのではないのである。
よくわからないけど、いつでも、セッション中にだけ、愛に溢れた私の中の最も純粋で最も強く最も忍耐強く、最も楽天的で、最も希望に満ちた部分が現れるのである。


そして、プロフィールに書けばいいのは、その人のことなのであると私は気がついた。
多分、ブログとは別人よ(笑)

でも、それでいいのである。
その人に会いにクライアントさんはやってくるのだから。

いつもの私に会いにくるのは、また別の人たちだ。
そして、そのいつもの私に会う人たちは、私がセッションをやっていることそのものが胡散臭いと言う(笑)

それでいいのだ(笑)