夜通し語る
ものすごく久しぶりに、友人宅で、夜通し語り明かした。
明け方、タクシーで帰宅。
昔はよくあったが、近年はない。
音楽の話をしようと思っていたが、昨今の不思議な社会情勢から話は始まり、ジーザスへと話は移り変わった。
私は、自分が感じていることを話した。
もしも、本当に、ワクチンができるなら、それはノーベル賞もの。
RNAワクチンは、まだ、できたことがなく、必要なのはRNAワクチン。
もしも、それができたなら、防止できる病気が他にも登場するかもしれない。
もしもこの流れの中で、人類が得るものがあるとするならば、光はそれだろう。
とか。
日本の重症者と死者は、ほとんど増えていない。
大阪の死者は、この一ヵ月でひとりだ。
ウイルスは変異していく中で弱毒化するから、もしかしたら、すでに、日本にある株では、それが始まってるんじゃないか?とか。
しかし、アメリカからやってきた株がどうかわからないから、夏休み明けがどうなるかはわからないとか。
表には絶対に出さないだろうが、政府は、どれくらいの死者が出るか、どれくらいダメージをこうむるかはシンクタンクに数字を弾かせているだろうから、今の動きはきっと、飢死(日本には生活保護があるから実際には死なないが、それが無ければ死ぬのであれば餓死だ)または自殺、と、病死を天秤にかけた時、飢死と自殺の数字が勝ったのだろう、とか。
興味深いのは、できるだけ肉体的社会的弱者を見捨てないという方向に動いている国が多いことだとか。
人類史上、これにチャレンジしているのは、はじめてだろうとか。
しかしながら、指定感染症から外れない限りは、私は徹底的に予防策を取るとか。
この一連で、得をしているのは誰か?とか。
最初に仕掛けたのは、本当はどこだと思うか?とか。
命を落とした科学者が何人かいるとか。
それでも、戦争よりはましだとか。
今は、間違いなく、歴史の教科書に載るが、そういう時期を生きるのは、その中にいると普通の日常なんだなと理解したとか。
私は、自分のおしゃれを支えてくれていたミャンマーやベトナムの縫製工場で働く女性たちが、首切りにあっているのが辛いとか。
だから、自分は服を買い続けるとか。
自分がマスクをしないことが、この流れを長引かせることが、遠くミャンマーやベトナムの人の人生まで影響を及ぼすことに、なぜ、気づかない人がいるのだろう?とか。
シニアの人たちが、本当に弱ってきてる感じがするとか。
きっと、老人であることを自覚させられてしまったからだろうとか。
どさくさに紛れて、決まった法律やしたお買い物のことは、ちっとも報道しない、とか。
国にお金はないわけじゃない、いくらでも増やせるとか。
なんかいろいろ。
そして、話はやがて、ジーザスに移った。
そんな夜。
夜通し語る時、それは恋バナか夢の話が相場だったが、そうではなかったところで、ああ、年を重ねたなと思った。笑