一瞬で変わった話と天国の願いの叶え方
私は、仕事をため込む癖がある。
ため込んで、ギリギリのところで一気にやる。
夏休みの宿題からそうだった。
いろいろやってみたけれど、これは、多分、治らない。
脳のなんかだろう。
昔は、それが問題だった。
35歳のある夏の日まで、その一気にやる時、私は泣きそうになることが多かった。
辛い気分。
そして、自分はだめだなあと感じる。
どうして、みんなが普通にできることができないんだろう?
そのある夏の日、私は、泣きそうになりながら、ふと思った。
「これは、必要な体験か?」
私は思った。
いらんのちゃうか、この体験。
いらんわ。
泣きそうになる必要はない。
嘘のようだが、それ以降、私が仕事をため込んで泣きそうになったことは一度もない。
しょっちゅうあったのに。
私は仕事をためる。
今でも。
締め切りがある仕事。
けれど、今、私は、泣きそうにならない。
なぜだか知らないが、自分がやばい!と思うと相手の都合で、締め切りが伸びるようになったのだ。
最初はたまたまかと思ったが、もう10年、ずっとそうだ。
それで「もしかしたら、自分が【必要ない】とはっきり決めれば、嫌なことは人生から消えるのかもしれない」という仮説を、数年前に、私は立てた。
そして、試した。
人生、もはやパラダイス状態である。
まるでこの世にはいい人しかいなくなったかのようだ。
おっちゃんUさんのような例は、人生にゴロゴロ存在している。
ようは、自分にとって、やっかいでなければそれでいいのだ。
そして、私にとってやっかいでない時、だいたいは、相手も楽しそうだ。
私が自分勝手にすればするほど、周りは幸せそうになる。
自分が人生を作るとは、ほんとにこのことだと私は思った。
そして、今、最近、自転車に乗っていた私の頭の中にあることが浮かんだ。
この自転車を買ってから、ちょいちょい、自転車に乗ると何かが浮かぶ。
浮かんだあることは、「やり方を変えなくちゃいけない」だった。
願いの叶え方には、いくつかバージョンがあるが、今からは、今までと違う願いの叶え方バージョンに、切り替えていかなくてはいけない。
そう、私は思った。
今までのは、多少、問題がある中で、問題も解決しながら、願いを叶えていく方法。
これからやるのは、問題が存在しない中で、願いを叶えていく方法。
天国の願いの叶え方、と。
それを、私は、すでに一部知っていると、私の直感は、私に告げた。
それで私は気づいた。
現在の社会環境を、私自身は、全く問題だと感じていないこと。
自分の体は、自分は天国にいると判断していること。
ただ、まだ、そこには最近やってきたと感じていること。
ご本人は、知らなかったし、気づいてもいなかったが、何かが変わっていたらしい。
ふ〜ん、と、私は思った。