これから起きるか、すでに起きたか
これから起きることのために、頭と体を使うか。
それとも、すでに起きたことのために、頭と体を使うか。
前者が、アウトカム志向とか未来志向とか、前向き志向とか呼ばれるものだ。
後者は後ろ向き。
前者は今と未来、後者は過去と今に関わる。
前とは未来で、後ろは過去。
必ずしも未来が前にあり、過去が後ろにあるとは限らないけれど。
(例えば私の場合は、過去は前にあり、未来は後ろにある。
目の前に広がるのは、自らの過去の結果で、未来は自分の今についてくる。
だから、過去は前にあり、未来は後ろにある。
今は、話がややこしくなるので、おいておく。)
だから、前向きで悲観的な人もいるし、後ろ向きで楽天的な人もいる。
また、完全に前向きな人もいなければ、完全に後ろ向きな人もいない。
頭と体を、何に主に使ってるかだけの違い。
そして、前向きな人が幸せで、後ろ向きな人がそうではないというわけでもない。
前向きだからこその不幸せだって存在する。
歳を取った時は、すでに何が起きたことを考えることが、その人を救うことも多いだろう。
ともあれ。
これから起きることは、少し先では、すでに起きたことに変わる。
それが起きる前から、それについて考えるか、それが起きてはじめて考えるかの違いはある。
と、今朝、同じテーマについて書かれている日本のニュースと外国のニュースを見比べていて思った。
日本のニュースは、明らかに、ただすでに起きたこと、または、すでに起きたことの影響についての記事が多く、外国のニュースは、これから起こすそのための取り組みですでに起きたことが多かった。
という話。