自分はどう対応するかという世界



自分はどう対応するかという世界に突入したな〜という気配を、最近、感じている。

強い衝撃と共に登場したニューフェイスも、日が流れるに伴って、各個人からの扱いは変わっていく。


近所に引っ越してきた人には、いつか慣れる。

そして、その性格が少しは見えてきた最近。


私は、この新しい隣人には、できるだけ近づかないという方針を取ることに決めた。

適性距離を測っている最中だ。


この新しい隣人は存在しないと無視することに決めた人も、登場しはじめた。

それで尚更、私は近づかないと決めた。


この新しい隣人は、自由を搾取するからだ。

無視することに決めた人も、私の自由を搾取する人に、私には見える。

これは恐怖ではない。

これは、私の自由を搾取するものに対する嫌悪だ。



同時に、ひとりで歩いていて、周りに人がいないのに外でマスクをつける意味は、よくわからない。

自転車に乗っていて、マスクをつける意味もわからない。


通気性のいいマスクに、何の効果があるのか、私は疑問だ。


どう考えても気休めだろうと思っていたら、布マスクは、飛沫は予防するがウイルス予防は全くできないという研究結果が、小さくニュースになっていた。


竹やりでB29と戦うみたいなもの?と、少し思った。


代用品と、私は判断した。

あんまり報道しないのは、国が布マスクを配ったからだろう。


ちなみに、その研究には紙マスクだと、正しくつければ50%は予防効果があると書いてあった。

取り込む量が半分にできれば、まずまず予防効果はあるらしい。

ウイルスまみれの場所では、そもそもの量が多いから、医療用じゃないと意味ないみたいだけど。

まあ、そんな場所には行かない。


現在、紙マスクは、普通にどこでも売られている。

これなら、医療にも十分に供給されているだろう。


人混みに出るなら、飛沫以外も気にした方がいいと思うから、近所をぶらぶらする以外は紙だなと私は決めた。

近所をぶらぶらする時は、布でいいか。外しててもいいくらいだが。

人と接触しないし。



一つ一つ、自分はどうするか?を、私は考えはじめた。


考え、体力、持病の有無はみな違う。

経済状態の条件も違う。


例えば、時給仕事で生活を支える人が、体調が悪いとわかっていても働いたら、私は、責める気がしない。

彼氏や彼女とイチャイチャしたい、仲間と騒ぎたい若い人も責める気がしない。

マスクをしないで電車に乗るおじさんは、マスクをしなくていいから、徒歩で移動してくれと思う。クーラー効いてるから。


どの時点から、そういう人が増え、どの場所にそういう人がたくさん集まっているかは見えない。


私は、基本的には、思いやりには期待していない。

自分のことを、他人の心に委ねるのは申し訳ない。


というわけで、できるだけ誰の濃厚接触者にもならないようにしておくしかない。

自分の自由を守るために。


誰かの濃厚接触者になれば、自分に症状がなくとも、相手に症状が出れば、自分も検査される。

無症状でも外出できなくなる。

こりごりよ!


ほんの少しの不自由を伴う自由と、完全に活動を止められることを伴う不自由のリスクを抱えた自由とを天秤にかけるなら、私は、少しの不自由を伴う自由を選ぶ。


もうこれは、各個人の考え方次第だろう。



まあ、政府を見ていると、もう、指定感染症を外してくれよ、症状が出た人だけ入院して治療する方針に変えたらどうですか?と、言いたくはなるけれど。