流行病が強くした戦争反対の思い。向いてないわよ。


私は最近、日本は、絶対に戦争しちゃいけないという思いを強くしている。


今、苦境に立っている業種は全て、戦時下にも苦境に立つ業種だ。

最低限の生活を成り立たせる仕事以外は、戦時下にもやはり必要ない。


旅行?戦時下にはいらん。

レストラン?戦時下にはいらん。

服飾?戦時下にはいらん。

娯楽サービス?戦時下にはいらん。

文化芸術?戦時下にはいらん。

冠婚葬祭?戦時下にはいらん。特に私の古巣のブライダル業界。いらない。

夜の街?沈没だ。

夜は電気を消さなくちゃいけない。



そして、なんと多くのそれらの業種が、日本には花開いていたのだろうと思った。

日本に存在するのは平和であるからこそ、成り立ってきた産業構造なのだと、私は、はっきり理解した。

前の戦争の時とは、それらの産業に従事する人口比率がきっと異なるだろう。


毎日が安心で安全だからこそ、花開けた産業構造なのだなと。



日本人には、まじめさゆえの取締り、自粛気質が社会的にある。

だから、欲しがりません勝つまではに、やはり次の戦争でも、この国の大半は乗るだろうと、ここ数ヶ月を眺めていて感じた。


どのみちいつでも本当のことなど知りようもないが、戦争になれば、情報はもっと統制されるだろう。

戦時下は、インターネットメディアといえども、自由を失くすかもしれない。

IT音痴の日本政府といえども、メールにも検閲が入るかもしれない。

加えて、自粛ムードは、今の比ではないだろう。


今、街で遊びはじめた若い人たちは、姿を消すだろう。

彼らは、戦地へ向かう人たちだ。

夜遊び自粛は拒否できても、徴兵は拒否できない。


病気には彼らは強いだろうが、銃弾には若さもまた無力だ。

街で遊んで、中高年を恐怖に陥れているくらいはまだいい。

彼らが消える時、未来が消える。

悲しみの量は、高齢者が天寿を全うした時とは、わけが違う。



そして、もう一つ明らかになったことは、戦時下といえば、配給制度だが、この国のスピード感では、戦時下は無理だ。

マスクや給付金のあまりの遅さに、私はむしろ安心した。

この国は、戦争の準備を、ま〜ったくしていないのだと。



まあ、ともかく、今後もやめとこうぜ、向いてないわよと、私は思ったのだった。