おじいちゃんの教育
おじいちゃん、ありがとう。
あなたの教育のおかげで、孫は、教会の中で、「そりゃ、仏教や」とつっこみまくっています。
祖父は、小さな私をりんご飴でつり、神社仏閣に引きずりまわした。
祖父の旅行のお土産は、必ず、仏さまの話が書いてある絵本。
そういうわけで、私は、仏教に詳しい。
自分も好きだったから、自分でも本も割と読んでる。
原始仏典と般若心経は、文章が美しいから好きだ。
祖父のくれた絵本の中で覚えているのは、「お守りはひとつ!」という話。
峠で強盗にあった人が、お守りをたくさん持っていて、神さま達が、誰が助けるか譲り合ってしまい、結局、譲り合ってる間に財布を盗られたという話だ。
頼る神さまはひとつにしなさい、というお話だった。
ともかく、私は、何の係かと思うが、教会の中で、仏教に関しての誤解がある時、それは違いますと言う。
そして、聖書に仏教の仕組みをつっこむ人に、「それは仏教です」と言う。
ブッダは悟った人間だから、ジーザスとは位置づけがそもそも違うし、阿弥陀様もいろんな如来や菩薩もブッダじゃないけど、それすら知らずに、ブッダを拝んでると思ってる人までいる。
何にも知らずに見下す人は、クリスチャン歴が長い年配の人に多い気がする。
おっちゃんUさんは、特にその傾向が著しく、仏教の修行システムを、ジーザスゆるゆる天国システムにつっこみ、悟りとか言い出す始末。
めんどくさいから、私は、おっちゃんUさんにはつっこまない。
キリがない。
(おっちゃんUさんについては、ボロクソに書いていいという許可を取ってある。)
「悟りたいなら、仏教の方が思考システムが整ってますよ」とは、以前、さらっと教えてあげた。
おっちゃんUさんは、仏教を悪くは言わない。
神道についても、アミニズムということを知らずに見下す。
メインの神さまは太陽。
自然崇拝だ。
だから、石も月も神さまだ。
なんで知らんのやと、私は、たまに、本気でびっくりする。
なんでもいいけど、それぞれ違いがあって、21世紀なんだから、自分に合うのを選べばいいと思うんだけど、(魂を救わない神さまはいないから。手法が違うだけ)、知らんで見下すのはやめた方がいいと、私はよく思う。
批判したいなら、先に勉強せえと思う。
仏教も神道も、すごく美しいと、私は思う。
ただ、わたしの神さまじゃないだけだ。
頼る神さまはひとつって、おじいちゃんが教えてくれたからね。
そして、生まれて初めて本気で「神さま助けて!」と祈った私に、奇跡を差し出したのがジーザスだったというだけの話。
全ては、おじいちゃんの教育のたまものである。