通信欄

高校一年生の三学期の通知表の通信欄。
今でも忘れもしないが、そこにはこう書いてあった。

お友達と楽しい学校生活が送れましたね。
次はいよいよ勉強しましょう。


小学一年生の通知表ではない。
高校一年生の通知表だ。

それを書いたのは、女子高生達が夏場スカートの中に下敷きをつっこんでパタパタ仰ぐのを見て、「僕も男なんやけどなあ」と切なそうに遠くを見つめながら呟いていた、担任のおじいちゃん先生だった。

私は、通知表を見て笑ったけれども、妙な達成感を感じた。
よっしゃ。
楽しかった。
そのうち、勉強しよう。
(そのうちは、それから一年後に訪れる。)


私は知らなかったけれど、母が先生と面談した時にこの先生から言われたことを覚えていて、最近、その話をしていた。
最近の母は、記憶の棚卸しでもしているのか、これまで聞いたことのない私の過去について母が持つ記憶を話すことがたまにある。

あの先生はいい先生だった、と母は言った。

あの頃、あなたは遊んでばかりで成績がどうしようもなかったけれど、あの先生は、あなたはできる子だ、こういう子は心配しなくていい、時期がくれば勉強するはずだと言ったのよ、と。

理由は、先生が、あと10点点数をあげなさい、でないとまずい、と私に言った次のテストで、私が、きれいに10点ずつ全科目の点数をあげたこと。
「お母さん、普通10点と言われてジャスト10点あげるのは難しいですよ。お嬢さんはそれをやった。」と先生は言ったのだそうだ。

覚えていないけど、そんなこともあったのかもしれない。
計算したんやろか?
テストに出そうな一部だけ勉強したのかもしれない。

私はテストを小学校時代から点調整ゲームだと思っていたので、まあ、あったかもしれない。

小学校時代は、点を低くする努力をしていた。
あまりいい点だと、友達から浮くからだ。
ここを間違えば、何点、とテスト中に計算して、それが当たると喜ぶというおかしな遊びを一人でしていた。
実力テストだけは本気で受けたが、それ以外は、先に取る点数を決めて、間違える場所を考えて、その点数にすることを目標としていた。
誰かに言えば怒られるので、一人で遊んでいた。

時が戻るなら、私はその子供を蹴り飛ばす。
ちゃんとやれ。
テストはそういうもんじゃない。
あんたのおかげで、私、大変だった、と。


さて。

母が今頃、話したのは、我が家では、成績についての会話は一度もされたことがないからだと思う。
テストで遊んでいたのも、親は成績については言わないからだった。
よかろうが悪かろうが、両親とも何も言わなかった。
褒められたことも怒られたこともない。

両親は2人とも、自身は成績がよかった人達だった。
2人の祖母や兄弟、近所の人たちから話は聞いていた。

2人は経済事情で大学に行けず、学歴コンプレックスは持っていたが、学力コンプレックスは持っていなかった。

彼らは、時々言った。
成績が悪くて困るのは君たち自身だ、僕らではない。
僕らは、君達の成績がよくても悪くても何も困らない。
自分達は君達が望むなら大学まではお金を出す。
君達に教育の機会は与えるが、それを生かすも殺すも自分次第、好きにしなさい。
君達の自由だ。


そんなわけで、通知表は、主に、通信欄について着目されていた。
だから、私は通信欄についてはよく覚えている。

いいこともあったけれど、食の好き嫌いが多いだの、友人の選び方が後ろ向きだの、ろくでもないことが、ちょいちょいそこには書かれていた。

おじいちゃん先生のコメントは、いつも少し笑った。
優しい先生で好きだった。


まもなく三学期が終わる。
今も通信欄はあるのだろうか?