たくさんのハナフジ先生
ここ一二カ月、このブログについて不思議な現象が発生している。
正確には、私の書く文章についてだ。
急に、いろんな人が私の文章を添削しはじめたのだ。
それらの人は、こうすれば文章がもっと読みやすくなるとか、ここがわかりにくい、あそこをこうした方がいいとか、非常に具体的に文章の改善点を告げてくる。
技術的な話。
これまで、ファンレターをメールでもらうことは時々あった。
(基本的に、文章に書いた時点で、私の中で話は完結しているので、そこから話が膨らむことはない。日記を書いているだけなので、好きなように解釈してもらえば構わない。)
しかし、文章の向上を希望し、具体的に告げてきた人はいなかった。
それなのに、ここ一二カ月、急に、文章に手を入れなさいという人々が登場し始めたのだ。
それらのアドバイスは、どれも愛に満ちている感じがする。
みな、私の文章が好きなのだという。
だからこそ、より読みやすく自分が読めるようにここを直せと。
もっと魅力的にできると。
それらの人に共通する要素は、みな読書家だということだ。
文章や本を読むのが好きな人たち。
私は、場所を変えながら、10年ブログを書いてきた。
今、10年、起きなかったことが、起きている。
同時多発で。
それが不思議だな、と思ったのだった。
まるで、自分と異なる視点を持つ人々が、私の文章をより魅力的な完成度の高い文章にするために、勝手に協力し始めてくれたみたいだ。
それで、私は、細かい細かいところを気にしながら文章を見直すようになった。
細かい細かいところを見ている人達がいることを知ったからだ。
そして、その細かいところが、出来上がりを変えることに気がついた。
さらに、この感覚が嫌いでないことにも気がついた。
「これはまるで、私の空想に一年間、日記を通して付き合ってくれたハナフジ先生がたくさん現れたみたいな感じがする。」と私は思った。
私はハナフジ先生が大好きだった。
彼女は、私がし(詩)を上手に書けるように手伝ってくれた。
それは主に、観察力を高めさせるやり方だった。
先生は、図工の先生だったので、それでだろう。
ハナフジ先生は、子供たちに対する愛が溢れていた。
不思議な話は、たくさんのハナフジ先生が急に現れたこと。
理由はわからんけど。