白い砂浜を言葉にする

言葉にしないものは私が理解できない。
私が理解できていないものは、当然、他人は理解できない。


言葉にしなくても、わかる、わかるよ、と言う人はいるけれど、それを信じて、あ、そう?と思っていたら、相手は全然わかっちゃいなかったということはありふれた話。

わかったって言ったやん!と怒るのは筋違いで、理解してもらいたいことを自分の口で言わなかった自分が悪いのだ。
話す相手はほとんどの場合、エスパーではない。
私、共感能力が高いからというエスパーめいたことを言う人には特に注意だ。
単に思い込みが強い人が8割をしめているからだ。(当社調査)

しかし、それでも、自分が言わなかったことを相手が理解していないと怒っていいのは、女子高生くらいまでだろう。

わかってると思ってたのに!
私も過去に言ったことがあるが、なぜ、そんなことが思えたのか今では謎だ。

たまに、なんでわかったの!ということもあるが、それはとても運が良かっただけのことだ。


なぜか、「あのなあ、好きなら好きってちゃんと言わんと。100言って、それでも伝わるのは10やで」と、高校時代に、私の恋愛相談を聞いた2つ年上の友達の彼氏から言われたことが蘇る。

今ならとてもよくわかる。


不思議なことに、夫には、私が何か怒っていることだけは言わなくても伝わるようだ。
私より先に、私の機嫌が悪いことを夫は察知する。
夫の気配を消す様子で、私は自分の機嫌が悪いことを知る。

言わなくてもわかることも時にはあるが、おそらく、態度が話しているのだろう。


話があちこち。


まあ、今は、自分が理解したいのが先だ。
白い砂浜は、念願の私の王国が目の前に現れたものに違いなく、私自身が設計図を持たないものを他者に分かち合うことは不可能だからだ。


白い砂浜を眺めてみよう。