ちょうちんブルマ*暗黒時代

今はもう見ないちょうちんブルマ。

私が中学生くらいまでは、かろうじて生存していたブルマ。

先日、まもなく中学生になる姪っ子相手に、学校のクラブについて話す機会があり、一年間だけ陸上部にいた頃の話をした。
一年間しかいなかったのは、クビになったからだ。

「クラブにクビってあるの?!」と姪っ子は驚いていた。
「あるのよ〜。先輩に、反省文を書くか辞めるか選べって言われたから、あんたに反省文を書く意味がわからんと思って、クビを選んだのよ。」と私は笑った。


ちょうちんブルマは、その中で登場したキーワード。
履いていたのは私ではない。
詳細は、まだご本人がおそらく存命中で、差し障りがあるかもしれないので省くが、私の陸上部は正座部と言っていいような経験だった。
ほとんど毎日、一部の友人と一緒に、運動場の隅っこで正座していた記憶しかない。
また学校に住んでいた猫が、正座しているとやってきて、私の膝で昼寝を始めることが多かったので、事は余計にややこしかった。

猫はいつでも、こちらの事情は考えない。


ともかく姪っ子は、私の中学時代のちょうちんブルマの話を聞いて、ゲラゲラとお腹を抱えて笑った。
「Yちゃんの話はおかしいねえ。」

それらの話は、体験した当時、ちっとも楽しい話ではなかった。
実際、その話をしていた時、そばにいた姪っ子の祖父母、つまり私の両親は、当時を思い出したのだろう、苦い顔をしていた。
中学時代は、親子間は崩壊していたし、親子共々、暗黒時代だったと思われる。

しかし、今、存在するその過去は、姪っ子相手に語られる時、大爆笑を生むネタとしてそこにあった。
私自身も笑えて仕方なかった。

私の家族たちも、姪っ子に、私が育った中でのエピソードを笑いのネタでよく話す。
だいたいが、いかに私がひどかったかという話だ。
なんと記憶力のよい人々だことだ。

それを聞いて姪っ子は、お腹を抱えて笑う。

私がいない場所でも、私はネタにされているのだろう。
時々、姪っ子が、「ママから聞いた。」とか「ばあばから聞いた。」んだけど「この話は本当か?」と私に尋ねてくる。

それらは、どうかと思う話ばかりだが、残念なことに概ね事実のことが多い。


私は、みんなが彼女に笑いながら過去を話す時、そこで、何かが起きているような空気を感じる。
何かが癒されて光に変わっていく気配だ。

暗黒時代は笑いのネタになる時、光に変わるようだ。
笑いのネタはダークであればあるほど面白い。
まともなことは、笑いにしにくい。
微笑みは生むかもしれない。


過去にいた家庭内の問題児に、未来で、みんなを笑かしていることを教えてやったら、きっと喜ぶことだろう。

「大丈夫、大丈夫。未来で全部、笑いに変わる。安心して、悩んだり反抗したり、好きにしてなさい。もっとネタを増やしとけ。」と声をかけてやりたいくらいだ。


遠いところまで来たものだ。