白い砂浜の特徴*宿題

私がセッションでしているのは、クライアントの悩みの解決や自己肯定感の促進、課題のクリアや自己成長ではない。

私がしているのは、クライアントが自分自身と、クライアントの現実や日常の中にいるリアルな人間関係の中で、自分自身や周囲の助けを借りて悩みを解決したり、自分自身で自己肯定感を持てるようになったり、自分自身や周囲の助けを借りて課題をクリアしたり、自分自身や周囲の助けを借りて成長したり、ともかく、クライアントが自分自身でそれらをすることを手伝うことだ。


私の頭を使うのではなく、クライアント自身の頭を使って。
私の意見がリソースになるとクライアントが言えば、私の意見も差し出すが、採用されるかどうかはどちらでもいい。

何をリソースとして使うかは、その人自身が判断すればいい。


ただ、私はほとんどの場合、宿題を出す。
次回も来てくださいということではない。

これをやってください、と、行動が伴う宿題。
内容は、毎回違う。
何をやればいいかは、クライアント自身がセッションの中で言っていることが多い。
しかし、言ったことを覚えていないことも多い。
忘れてしまうので、やれないことが多いのだと気がついてから、宿題として、私が言うことにした。


クライアントがそれをするかしないかは、私にはどちらでもいいのだけれど、おみやげでそれを渡す。
クライアントの人生をどうにかしたいのは、私ではなく、クライアント自身なのだから、やりたければやればいいし、やりたくなければやらなくていい。


私なら、やらないわね、忘れっぽいからさ、といつも思う。

しかし、どうしたことか、クライアントのほとんどは、言われたことをちゃんとやる。

私は正直、いつも、ある種の感動と驚きをそこに覚える。

えらい!えらいよ!すごいよ!

やる、のは大変なのだ。
悩むのは簡単なのだけれど。


たまには、とんでもなく遠い場所へ行く、とかが宿題だったりするからだ。
その人がそこへ行けば解決すると行ったからだが。

また、たまには、今まで使ってきた言葉を一切使うなとかいう宿題だったりするからだ。
その人が、それを使うと、そこから思考がおかしくなるキーワードだったりするからだが。


大変だったろうに、と、私はいつも思う。
言わないけど。
当然、あなたはやってくるものと信じてた!みたいな顔をする。

やりたいならやればいいし、やりたくないならやらなくていいという適当なもので。。。
クライアントには、何にも期待はしない。
ただ、その人たちの幸せを望むだけ。



時々、何かを講義していたりもするが、そちらは少し趣が違う。
そちらも宿題を出すが、そちらは、必ず、やってきて、だ。

やってくる、という前提でしかやらない。

ただ、教える時は、それについて教えるのが、まだ私が不慣れなのもあるが、私にも宿題がでる。
ここを教えて、ここがわからない、と生徒さんたちが言ったことを次までにまとめなければならない。

私は怖い先生ではないようで、生徒が容赦ない。笑


こちらは、共に成長しあうためにあるような感じだ。
だから、どちらにも宿題がある。


宿題がからむ関係が、どうやら、私の白い砂浜に落ちている砂のひとつのようだ。

砂は、キュッと踏むと、キャキャキャと笑い声がする。

白い砂浜の特徴1。笑い声。


そして、もうひとつ。
その砂浜がどこにあるかは、知ってる人しか知らない。
まるで、シークレットビーチ。
誰でも遊びに来れるけど。


まだまだ、特徴を見つけなくちゃ。
赤い海と青い海の特徴を書いたものはたくさんあるけれど、白い砂浜について書かれた書物はひとつもない。

私が私用に書きおろすしかないのだ。
言葉にしなければ、私が理解できない。