子供の思い込み

子供の頃に生まれた思い込みが人生に影響を与えることは割とある。
自分自身もそうだったし、セッションをしていてもちょいちょい登場する。

ポジティブな働きをする思い込みもあれば、ネガティブな働きをする思い込みもある。

その思い込みが、どのように生まれたのか、大人になってから把握することは、割と難しい。
それは事実に基づいた真実とは限らないけれど、その人の中では真実として、人生の中核に存在することがあり、長い時間をかけて強化されていることも多いし、中核を客観的に観るにはコツがいるからだ。


今、私は、姪っ子を通じて、その思い込みがどのように生まれ育つのかを少しだけ見ていて、その思い込みが悪い方に固まらないように、それを壊すことに励んでいる。

1つ前にも書いたが、「うちは貧乏だ」という思い込みがそれ。

彼女のおかれた状況は、親が離婚して、母親が育てているけれど、父親ともたまに会い、また、父親は養育費もちゃんと出している。
彼女の母親は、大学を卒業してからずっと同じ企業で働いていて、家のローンを払っている。
彼女が住む家は、うちより広い。
彼女は習い事をいくつかして、塾に通っている。
孫に甘い祖父母が1分のところに住んでいる。


パパがいないという寂しさを彼女が感じているのは知っている。
また、大人に気を使って、いつでも元気よく子供らしく振る舞うようにしているのも知っている。(もともと明るい子ではある)

しかし、彼女は、貧乏とはほど遠い暮らしをしている。

だが、彼女は言うのだ。
「うちは貧乏だ。」
割とシリアスに切なそうに。

それを見ると、私は、毎度吹き出しそうになる。
しかし、思い込みに協力してはいけないと、それをぶち壊すべく、毎回、貧困について語る。


彼女がそれを言い始めたきっかけは、ある時、専業主婦のママを持つ友人の家に遊びに行ったことだった。
彼女の住む地域(私が育った地域でもあるが)は、今でも専業主婦が多い。
母親が働いている人が少ない。
同級生の三分の一は私立の中学校に行く。

その家のママは、家の中をデコレーションすることが得意で、非常にきれいに飾り付けがしてあったらしい。

帰ってきた姪っ子は、母に言った。
「うちは貧乏なのね。」
姪っ子は、ほとんど毎日、妹が帰ってくるまで、祖父母の家で放課後を過ごしていた。

はあ?となった母は、なんで?と聞き返した。

姪っ子は言った。
「だって、お家の中に飾り付けがないもの。ママは働いているし。」

母はまた、はあ?となって笑って言った。
「あなた、それは違うわよ。
あなたのママは、お菓子を作るのが上手でしょう?
でも家を飾るのは得意じゃない。
みんな得意なことが違うのよ。」

姪っ子は黙った。

しかし以降、何かと登場する。
「うちは貧乏だから。」

彼女が思ったようにできないこと、反対されたことの理由はだいたいそうなる。
彼女なりに、自分を納得させる理由にしているのだろう。

うちは貧乏だ。だから、仕方ない、と。


卒業式でも登場した。
袴を着ていた子達がいて、姪っ子も袴を着たかった。
しかし、袴はまだ後で着れる、AKBのような衣装は今しか着れないという大人達の判断で、ミニスカートの可愛らしいスーツが姪っ子の衣装になった。

姪っ子はこそっと私に言った。
「私も袴が着たかった。でも、うちは貧乏だから。」


テレビやインターネット、新聞で、シングルマザーについて彼女は目にしている。
シングルマザーという言葉が、自分の母親にあてはまることも理解している。

メディアに書かれているシングルマザーの現状は、明るいものではない。
社会を変えよう、手助けが必要なところに手助けがいくようにしようという意図がある記事が多いから、それは当たり前のことだ。
悲惨さを描く、それで正解だと思うが、だがしかし、この場合、それが、悲惨な場所にはいない彼女の思い込みを補強しているようだった。

たしかにそれも現実だが、そうではないシングルマザーもいる。
両親揃っていても、大変な時は大変だ。

シングルマザーか否かというだけで、ひとくくりにはできない。

しかし、シングルマザーという画一的にシンボル化したメタファーが、12才にも影響を与えているようだった。

言葉の力はすごい。

実際、彼女の母親はシングルマザーだ。
だが、メディアが描くシングルマザー像と彼女の母親はだいぶと様子が違う。


12才はそこは理解しない。


現在、一人っ子全開で、みなに甘やかされ、少しばかり、わがままな方の性格の彼女には、この「うちは貧乏だから。」はいい働きをしている。
彼女がわがままを少しだけおさえて、忍耐をするためのサポートをしている。

また、彼女が貯金に励んでいる理由もそれだろう。

今のところ、そこに、ネガティブな働きは見られない。


ただ、大人になった時、これはどう働くかわからない。

子供の頃に生まれた思い込みは、本人が子供の間はうまく機能するだろうが、本人が大人になり条件が変わった時、必ずしもうまく機能はしない。

事実と合わない思い込みは、ネガティブな働きをすることが多々ある。



というわけで、私は、彼女の思い込みの補強には、引き続き協力しない。

いつか、彼女が、自分が恵まれていることに気づく日まで。
彼女のママが、どれだけ頑張ったか、彼女が理解できる日が来るまで。

あんたはあほかと言い続ける。


それこそ、子供の私のそばにいて欲しかった大人だからだ。

「お母さんは、私を愛していない。」だから、仕方ない。

小さな私の思い込みに、それは違うよと言ってくれた大人がいたなら、愛について教えてくれた大人がいたなら、私の人生は10年くらい寄り道をしなくてすんだと思うので。


親でない大人にしかできない役割もまたあるような気がしている。

また、できることなら彼女には、思い込みでがんじがらめになって自分の心の傷にこだわる大人ではなく、自分も知る他者の痛みに手を差し伸べることができる余力を持った大人に育って欲しいと、少しだけ願っている。
そのために、今、私にできることをと思っている。