名もなき誰かの夢

最近、ニュースを騒がせているリニアモーターカー。

私が初めてリニアモーターカーを知ったのは、小学一年生の時に見た、子供百科事典の中だった。
海の上を走る電車が、東京とニューヨークの間を1時間くらいで結ぶ絵が描いてあった。

そして最近、実家の家族と焼肉を食べに行った時、リニアモーターカーの話になった。
また夫がニュースになっているものと同じ業界にいるので、いつもは父の話を聞く一方の夫も、珍しく意見を言い、会話に参加していた。

その中で、父が、「あの人どうするんやろ?」と言った。
私の父は、75才の今も週二日、何をしているかは知らないけれど、会社に通っているのだが、もうひとりだけ、父と同じくらいの年齢の人が会社にいるらしく、あの人とはその人のことだった。

あの人、は、リニアモーターカーの計画が生まれた時から、その開発と研究に関わってきた人なのだそうだ。

父は、さすがに疲れてきたと今年いっぱいで仕事は辞めるつもりらしいが、あの人は、辞めれないなあ、、、と父は言った。
リニアの生き字引みたいなことになっているからと。
最初からの流れを知っている人が、もうその人しかいないのだそうだ。
技術は書面の引き継ぎだけではどうにもならない部分があるのらしい。

そして、彼にとっては、社会人人生の全てはリニアモーターカーだ、50年近く夢見てきたことがまもなく現実になろうとしていると。

リニア、まだ8年くらいかかるでしょ?その頃83才?!と私は言った。


帰り道、夫が、僕が初めてリニアを見たのは、科学雑誌だと言った。

夢みたいな乗り物に見えたね〜と私は言った。
父によれば海の上を走ることは、現実的にはなさそうだったが、それにしてもすごいねえと思った。


それにしても。

私が、リニアモーターカーを、夢「みたい」、と思った頃、それを現実的に夢見た人達がいたということ。
そして、山のような失敗を繰り返しながら研究し続けてきた人達がいる。

引き寄せとは、かくも長い時間を要することがあるものだ、夢の実現には長い長い時間がかかることもあるものだと思った。
50年ですってさ。。。


ニュースはニュースでしかないのだけれど、それが誰かの夢が叶う瞬間だと感じた私は、ぜひともリニアモーターカーが走るといいなと思った。

まずは、あの人、の健康を祈ろうと思ったのだった。
きっと無名のままで終わる、たくさんの一サラリーマンの夢が叶いますように。

そして、私は、歴史には名前が残らない名もなき人達の夢の塊が、今私が見ている社会のような気分になり、とても幸せな気分になった。
叶った誰かの夢の中を歩いていると感じたからだ。

その時目の前にあった信号機も、バスも、そして、お腹いっぱい食べた焼肉も。
私が当たり前に目にしているものは、みんなみんな、名もなき誰かが描き、叶った夢の中だと感じたのだった。

私は夢が叶うのが好きらしい。
それが自分の夢でなくても、夢が叶うのは私を幸せな気分にする。