流行語大賞



早くも今年の個人的な流行語大賞が決まりつつある。
それは、「Yちゃんは、Yちゃんのことだけを考えろ。他は全部ほっておけ。」というもの。


このフレーズを今年に入ってから、すでに5回以上、聞いている。
それを言ったのは全部違う人。
そうしなければ、もったいない、とその人達は言う。

第2位は、「肩に背負ってきたものを全部下ろせ」。


流行語大賞のフレーズについては、少々、怯えている。
人生、自分の好きに生きたもん勝ちだということには気づいているが、「自分の好き」が他者の幸せに繋がっていなかった時期が、私の人生の中に存在した時期が確かにあったからだ。

その頃、「自分のことだけ考える」ことは問題だった。
必要なことは他人を思いやることであり、他人に合わせることだった。

今は、それが自分の邪魔をする、邪魔をしているようだと、気がついた。
徹底的に自分のことだけを考えろという人々が、自分の周囲に少なくとも5人いる。
それが他者の幸せに繋がるのだと言う。
なんとも隔世の感があり、本人は、まだ少しピンときていない。


何が変わったのだろう?


では、私は「自分の好きにすること」「やりたいようにすること」を苦手なのかといえば、それはそうでもない。

そちらは、両親がよく怒っていた事実から明らかだ。
実家にいた時期、父は私によく言った。

「おまえのように、自分がやりたいことだけ自分の好き勝手にやるやつは、山の中で、1人で木こりか炭焼きでもして暮らせ。」

残念なことに、父が使ったメタファーの木こりと炭焼きについて、私は、それがどんな仕事なのか仕事内容を把握していなかった。
まだ子供だった。

それで、私は、山の中に1人閉じ込められるというイメージで木こりと炭焼きのことを覚えた。
寂しそうな仕事だと。


と、ここまで書いて、気がついた。

子供は常識は身についていないので、好きなことを好きなようにする。

今年の流行語大賞を私に言った人々は、私がそもそも好きなことで私がやりきれてないことを、私に伝えているということに。

そして、私がそれをやりきってこなかった理由は、木こりと炭焼きにあるということ(笑)
私は木こりと炭焼きに憧れなかった。


親が子供に言う言葉の威力とメタファーの力は絶大だな・・・。

私には、父の言葉がかなり影響してことが多いが、それは、母が概念的な言葉で語ることが多いのに比べて、父はメタファーを使う頻度が高いからだと、これもまた気がついた。
父は例え話が好きだ。


話を戻そう。

流行語大賞をこなすためには、私自身の言葉で、概念の定義づけを変えねばならない。

自分のことだけ考えること、他人をほっておくこと、自分の好きなことを追求することは、木こりと炭焼きではない。
木こりと炭焼きは、私はしていないし、また、1人だけで山にこもる予定もない。
それは好きじゃない。


新しいメタファーが必要だな・・・。
メタファーにはメタファー。


なんだろうな。

あまりにも、最初に木こりと炭焼きを聞いた時の衝撃が大きかったのだろう。
珍しく新しいイメージが浮かばない。

とんがり帽子をかぶり、斧を持ち、煙突から煙のあがる山小屋で釜で炭を焼く小人しか浮かばない。

この木こりのイメージも、何か間違えている気はするけれど。
斧を持ったまま炭を焼くのも不自由そうだ。

しかし、自分の中が、随分、おかしなことになっているということは確認できた。


まずは山から降りた街の中にいなくちゃいけない。
私は、山は動かないので、そもそも苦手なのだ。

新婚旅行で、山の中をドライブしていて、2日目に「山は動かないから飽きた。何か人工的なものが欲しい。」と言って、山の中に時折現れる重機を数え始めて夫を呆れさせた女である。
私には、山は遠くから眺めるくらいでちょうどいい。


ああ、海がいいね、街の側にある海のイメージがいいかもしれないなと思ったところで今日はおしまい。


流行語大賞をこなすには、工夫が必要そうだ。