ある霊能者のはなし*3

あなたの話を書いた日、私の日記を読みに来る人数が尋常じゃなく伸びる。
もう、あなたの話だけ書いてればいいんじゃないかと思った。
まあ、日記だから、読みに来る人数、あんまり関係ないけど。


つい先日、私は、ある霊能者の友人にそう話した。
彼女はふっ、と笑った。
「まあ、あんまり、聞かへん話やからちゃう?ほら、神秘性が重要なサービス業やから、有難い感じにしとかんとあかんし」


彼女はインターネットの中にはいない。
SNS、ブログ、ホームページ、そういう類には一切参加していない。
めんどくさいのだそうだ。

まあ、私の友人の半分は、同じような感じだ。
メール、LINE、それくらいしか使わない人が半分くらい。
世代があるかもしれない。


それで、彼女は、自分が誰かわからないようにすること(まあ、インターネットで探せないから、誰かわかりようもないけれど)を条件に、もう少し日記用にネタを話してくれることになった。
私も少し興味がある。
オーラの泉的な話でも聞けるかもしれない。

そう彼女に言うと、「21世紀やで、Yちゃん」と鼻で笑われた。
「中高年、シニア向けならそれで仕事になるけどな、それだけではもう仕事にならへんわ〜、私の場合」と彼女は言った。

私たちも、中年に入るのではないかと思うが、黙っておいた。


彼女は、「だいたい、お墓とかもこの後どうすればいいか、そっちで困ってる人の方が多いんやで」と言った。

「お墓は生きている人のためのものやから、生きてる人が納得できるようにしたら、それでいいんですよって話したり、そっちの方が多いわ。
親がちゃんとせんでそのまま亡くなって、困ってる人、割とおんねん。

ほら、歌にもあるやん?
私のお墓の前で泣かないでください、そこに私はいませんって、歌う時もあるんやで、私」


そして、彼女は笑って言った。
個人的には、現代新築されるお墓は、もはや単なる環境破壊やと思ってる、と。
死んだ人のために、生きた山を削り、生きた微生物を殺し、動物から居場所を奪う、と。
人間の業、人間の罪深さを、彼女はお墓から感じるのだと言う。

「エコちゃうわ。
まあ、霊能者がエコを語ると話、おかしなるからそんなことは、お客さんには言わへんけど。
お墓があることで、心が救われている人は山のようにおるし、大事な人を亡くした時、支えになる物質的なもんは必要やしな。
骨もそのへんに捨てるわけにもいかんしな。
それしたら、犯罪好き放題にできてしまうやん?
そやけど、削る山にも命があるんやということは、ないことになってるやん?
カラスも気の毒よな。

ほんで、先祖供養については、話は別や。
先祖供養については、墓は、生きてる人が納得する以上の意味はあらへん。
先祖供養に一番必要なことは、もっと別のこと」


私は、へえ、と言いながら話を聞いていた。
どこまでほんまか知らんけど、もう少し、彼女の話を黙って聞いておこう。