ごめんねという感情
書きたいように書いたら、ふうっと何かが抜けていった。
そして、不思議な感じだったけど、流行病が自分の中では、どうでもいいことになった。
考えなくていいこと。
一瞬で変わった。
不思議。
予防対策をしないとか、そういうことじゃない。
それは、する。普通に。
ただ、考えなくていいこと、になった。
次に考えるのは、ワクチンはどれを打つかとか、いつ打つかとか、いや打たないかとか、そんなとこ。
これは少し先だから、しばらく待つしかない。
差別も腹は立つが、私の周りにはないのだから、どうしようもないと、書いた後に私は思った。
私は流行ってるところにいるけれど、身近では聞いたことがない。
聞いたことある?と聞かれることは時々あるが、聞いたことないと私も言うし、周りも、そうなんだよね、聞かないよねと、言っている。
少し離れたところで、起きている話は聞く。
しかしそこはそもそもそんな感じの土地であろうと、だいたいの人が認識している場所なので、話としては、あまり意外性がない。
つまり、いつも通り。
ついでに、〇〇警察も、私は見たことがない。
結構張り切って探してみたが、いなかった。
探してんねんと言った私に、「またおかしなものを探して。東京だけちゃう?」と、誰かが言った。
どうせなら、目撃してみたかったと私が言うと、誰かは、大阪では文化的に成立せんのちゃう?と言った。
そういや、知事も、差別と警察については発言せんから、やっぱりないのかもしれないと私は思った。
同じ時期を過ごしていても、体験はパラレルなんだなと、私は思い、そして、嫌な体験をしないことに罪悪感を持たなくていいのだと、自分に言った。
そして、それは、どうでもいい話になった。
その話のそばにいる人たちが、解決していけばいい話だ。
私は、私のそばにある話を、こなしていかねばならない。
ごめんね。
私は、なんとなく、誰にともなく、心の中で謝った。
なんか、謝りたい気分になった。
ごめんね。
ほんとは、だいぶ前から、どうでもよくなっていた気もする。
ごめんね。
よくわからない感情だ。
そして思った。
先へ進もう。