遺産の使い道
生きて帰った方が家を守ろうと、2人の青年がビルマ(ミャンマー)で語った夜から75年。
その青年たちの年齢を遥かに超え、彼らの親でもおかしくない年齢になった彼らのうちの1人の孫は、自分の子供時代に起きたことのいくらかは、75年前に関係すると気がついた。
セッションを通じても、気がついた。
心理学やコーチングの技法の多くは、アメリカやイギリスで研究されたことが元になっている。
だから、自分が気がついたことは、それらの話には登場しない。
そして、誰も研究していないので、これは仮説だ。
今後も、研究はされないだろう。
なぜなら、アメリカとイギリスには、研究できないからだ。
スイスはできるかもしれないが、必要ないからやらないだろう。
私は気がついた。
ある年齢あたりを境にして、インナーチャイルドが、癒しが必要なほど傷ついる人が急激に減る。
育った過程で、親から受けた傷を引きずっている人数が減る。
私の母の姉妹は、明らかに、祖父がアルコール中毒で落ち着かない家庭に育ったことの影響を受けている。
祖父のアルコール中毒は、明らかにPTSDだと考えられる。
PTSDを持つ親が、時間以外の方法で傷を癒すことなく育てた人達が多くいたのが団塊世代までだと考えられる。
そして、その人達の子供が、団塊ジュニアまでだ。
誰もに起きたわけではないだろうが、今、流行病で精神的にやられている人数が決して少なくないところを見ると、その人数は少なくなかったと推測される。
私の子供時代に起きたことのいくらかは75年前が原因だと、私は思った。
本人だけで、話は終わらない。
孫の代まで話は続く。
3世代かけて戦後処理をしたと、私は思った。
生まれた時から豊かな時代で、精神的に余裕のある他人の大人に恵まれた私で、話はようやく終わったと。
国家は、国家に賠償はしても、個人の人生には責任を負わない。
個人の精神を賠償できる国家はない。
傷ついた精神を国家が贖うのがいかに難しいかは、隣国とのこじれ続ける政治問題が教えてくれる。
憲法9条は死んでも死守だと、私が思うのは、自身の体験からだ。
個人の人生が、国家より劣るわけはなく、国家は、個人の人生の集合体を示す象徴であるべきだ。
卑怯者と世界中から罵られても、死守だ。
青年たちが語った夜から75年。
日本がはめられた戦前と同じ動きが、世界で起き始めている。
対象国になっているのは日本ではないが、構図は同じだ。
やり方も同じだ。
戦争中だけを学ぶのではなく、それが始まった時に、その前に何が起きたかを、人は学ぶべきだ。
それは、経済から始まった。
そして、その時と今とで、日本の国がひとつだけ異なるのは、国民投票でしか変えられない憲法を、私たちが持つことだ。
それは大いなる希望だ。
75年前を生きたたくさんの青年達の命と引き換えの遺産だ。
遺産の使い道は、子孫にたくされている。