早く、小さく、簡単に
何か未来に、ちょいと難儀なことが起きそうだなと感じる時。
そういう感覚は、ふっと誰にでも浮かぶことがあると思う。きっと。
それは、差し迫ったことではなく、まあそのうちねで置いておけそうなこと。
放置すれば問題を生むかもしれないが、今は大した弊害もないこと。
今は小さなこと。
今は小さな不安。
選択、選択というが、この時。
実は、ここで最初の選択は分かれている。
いつもいつもややこしいことになっていたり、もめごとを抱えていたりする人は、ここで、スルーするという選択をしていることが多い。
棚上げ。
ややこしいことになったり、もめごとになってから考える。
物事スムーズに行っているように見える人は、私が知る限り、この時点でスルーしない。
考えるのが楽しくないことから逃げない。
考えはじめるタイミングが違うのだ。
思考、とひとことで言うが、それを使うのには、何を考えるかだけが差をつけているのではない。
どのように考えるかだけが、差をつけているのでもない。
いつ、考えるかも、差を生む。
これは、思考法の本には書いていないし、技術でも教えない。
なぜなら、それは、「方法(やり方)」ではないからだ。
ただの、タイミング、だ。
早く考えはじめることで、そのふと浮かんだことが起きる確率を下げるか、小さな間に潰してしまえるか、ともかく、リスクは下げることができることが多い。
まだ起きていないので、自分や周りの感情に振り回されることもなく、割と冷静な判断がしやすい。
そして、時間的余裕があるので、無理しないですむことも多い。
早く考えるだけで、同じことを、小さく、簡単に、できる。
これの積み重ねは、さらに差を生む。
小さく簡単なことは、その処理に時間がかからない。
結果、問題に関わる時間が短くすみ、他のことに頭が使える。
思考は人生に差を生むが、何をどれくらいの長さ考えたかも、そこには関係する。
これも、思考法の本には書いていないし、技術としても教えない。
なぜなら、それも、方法ではないからだ。
それは、時間の長さだ。
それはもちろん、どのように何を考えるかは関係する。
早く考えはじめたとて、そのことについて不安をふくらませたり、悪いことばかり考えるならば、意味はない。
けれど、ヘルシーな精神状態であるという前提で話をするなら、タイミングを早く考えはじめるだけで、変わることは随分とある。
これは、セッションの経験からも感じる。
もう少し、早く来て欲しかったと思うことは、度々あるからだ。
もう少し早ければ、話はものすごく簡単だったと思うこと。
仕事もプライベートの話も。
これは、感覚的には思考の癖の話だと思う。
そして、他人からは指摘されにくいし、他人は気付きにくい。
その人の頭の中を、四六時中モニターしている人はいないから。
ふっと浮かぶことが、今に直接関係しなくても、未来に関係してきそうな場合は、少し考えてみるのが、私としてはおすすめだ。
楽しくないことであればあるほど、早く考えはじめ、小さく、簡単に済ませる方法を、考えておけば、そのことについて、長く考えなくてすむ。
自分が考えたくないことほど、早く考えはじめ、それを考える時間を短くできるにはいかにすればいいかを考えることで、頭の中は、自由さを増す。