タイトルなし
私は、クリーンな質問(*)を尋ねられた時の人の表情が好きだ。
「あなたは何が起きればいいの?」
「すると次に何が起きるの?」
ん?という表情や、キョトンとした表情。
それまで、どんなに息巻いて話をしていた人も、その質問をすると、別空間(ちょっと非日常)に入る。
そして、こちらを見る。
そういう時、私は、目蓋だけをいたずらっぽく動かす。
そして待つ。
ただ待つ。
相手が質問の意味を理解できないようでも待つ。
相手は、必ず、自分が答えやすいように、自分の頭の中で、質問を変換するからだ。
気づくために。
私は、答えを楽しみに待つだけで、他には何もしなくていい。
楽ちんだ。
自分のことは、自分で気づけばいいのである。
この質問を生み出した人(*)は、クライアントの話を聞くのがあまり好きではなかったのだという。
めんどくさいと言っていたと、その人の元妻で、質問を生み出す過程に共にいた人が、小さな声で語っていた。
自分と一緒だ、と、私は思った。
私も人の話を聞くのは、そんなに好きじゃない。
けれど、話を聞くのは下手じゃない。
悩みを聞くのに関しては、多分、うまい。
人がそういうから。
だから、仕事。
才能や能力と、本人がそれを好きかどうかは別の話だ。
才能や能力は、他人のために使うために与えられたものであって、本人がそれを好きかどうかは、別の話だ。
好きなことと才能が一致した人は、非常に幸運な人だと思う。
好きではないことに才能がある時、必要なことは、それが好きになれる工夫。
私は、人の話を聞くのは好きではないが、人に質問するのは好きで、自分が知らない何かが現れるのも好き。
話してくれる内容が変われば、話を聞くのは、好奇心をくすぐられる非常に楽しい時間になる。
そして、私は、人の話を聞くのが好きになった。
(*)クリーンランゲージの質問。
デイビッド・グローブが生み出した。