パラレルなお盆
お盆にランチ会が催された実家。
近距離でもあり、あと何回会えるかわからないと、母が思ったらしい節はある。
妹が決めた飛沫対策席順により、私だけ、大阪市民という理由で、別テーブルで扇風機の風が当たらない場所に座らせられた。
私の前には誰もいなかった。
夫は、会社と住んでる地域で移動自粛要請が出ていて、お盆は戻ってこなかった。
「マスクとGo toについてなら、何時間でも話せる」と妹は笑っていた。
他の家族もケタケタ笑いながら、一連の話をしていた。
ハイリスク第一位の父は、自分はもういつ死んでも悔いがない、病気にならないようにだけ生きるのは嫌だ、それより今日を楽しく生きたいという人。
この人は一度余命宣告をされたことがあり、その時も死の恐怖はない様子だった。
母もまた、かかったらしゃあないという腹の括り方。
妹は、自分は無症状なだけの可能性がある、とにかくうつさないようにだけ気をつけていると言った。
私と同じスタンスだ。
実家は、都会に生きる人々だ。
取れるだけのリスク対策をしたら、後は、その中でいかに生きるかは本人次第と考えている節が強い。
性格的に適応が早く、笑いで恐怖や不安を吹き飛ばそうとする集団ではある。
我が実家はここまでいろいろあったので、今の状況は最悪ではないと、実家の面々は判断している。
割に真正面から状況を眺め、その中の笑いを見つけようとする。
ここは楽天的な人の集まりだと、私はつくづく思った。
父は会社では、アクリルの板でぐるりと囲まれて働いていると、面白そうに言った。
私も、セッションの時は、マスク以外にフェイスシールドを使っていると、にやりとして言った。(結構、楽しい。)
姪っ子は、Go toキャンペーンがあるのに、なぜ自分の修学旅行が中止になったかに納得がいかないようだった。
私は、「5人以上だからでしょ」と言った。
妹は「先生、なんとかできないか、抜け道はないか、ギリギリまでだいぶ頑張ってくれたんだけどね」と言った。
話が盛り上がったのは、なぜ、さきいかを買いに施設を脱走したのか?という答えのない考察だった。
爆笑の渦の中、みなは、それについて、それぞれの見解を話していた。
笑っちゃいかんのだろうが、すっかりネタである。
買ったものがさきいかとは、実にナイスチョイスだった。
きっと、たくさんの人が、笑ったことだろう。
褒めはしないが、どうもありがとう。
この世界の片隅で経験する今は、実にいろいろだ。
それは、何もない時と同じで、世界は常にパラレルだ。