夫の母の介護

決めたら早い。


自分にとっての時間の無駄は、非生産的なもめごと。

そして、自分勝手に考える時、物事うまく運ぶ。

話を仕切るのは、私がやるのが一番、どう考えても、みんながしんどくないように、平和にまとまる。

もめた後から入っていくのはごめんだ。

最初から、もめずに、みんなで楽しくやれるように準備だけしておこう。


さて、次は、私が仕切れるように段取りを組んでもらっておくことだと、私は思った。


夫の母の介護の話である。


今はまだ必要ない。

しかし、まだ必要ない時でなければ、夫の母本人とこの話はできない。


そのうち様子を見て、ちょっと話をしないといけないなと、私は思った。

何の話かといえば、夫と夫の妹に、話しておいてくださいよという話だ。


なぜなら、私は、他人だからである。



介護は情報とお金次第だ。

私は、情報を集めるのに、フィールドワークのバイト場所を福祉の分野にしたところもある。

なんでもそうだが、ほんとのとこどうなってるかは、中に入ってみないとわからないところがあるだろうと思ったのだ。

守秘義務がある業界は、特に。



そして、介護は、人間関係次第だ。


私は、介護にまつわる身内のもめごとは、自分の周りではごめんだ。

ただでさえ、心理的に負担がかかる時期に、別の負担を増やしたくない。

みんなで楽しく、笑い泣きしながら、やりゃいいのだ。



そのためには、予測できることは全て、事前に手を回すことだと、私はすでに学んでいる。

それができる人にお願いして。


それができる人。

夫の母。


そして、この話題は、夫の母をよくわからない流行病(の報道)がもたらす、幻の死の恐怖から引き離す話題としてちょうどいい!と思った。


幻から誰かを引き離すには、その人の現実を使うのが早い。

その人の現実にあり、その人が本当に考えなくてはいけないことをテーマに作れば、精神状態が病んでいなければ、そのリアルなテーマに頭はいく。


介護は、この場合、いい話題。

死の恐怖の手前に介護はある。


それは、生きていくための話題だからだ。

生活の話題だ。



私の頭の中で、それだけまとまった途端、昨日、夫の母と電話で話した時に、夫の母の方から、自分のこれからについて話を持ち出してきた。

彼女の友人に最近あった話をきっかけに。


そこから、私と夫の母は、1時間ほど、今後の予定プランについて話しあった。


私は、夫の母に、いくつか、根回しの段取りをお願いした。

つまり、夫と夫の妹に話をしておいて欲しいとお願いした。

いざという時、もめないように。


それは、彼女にしかできない。

なぜなら、夫が長男だからである。


夫は本当に優しいが、仕切るのは苦手である。

期待してはいけない。

夫を立てようなどと思ってもいけない。

できないことをやれと言うのは、嫌がらせである。


できる人がやりゃいい。

どうせ、回ってくるのだから。

それなら、「楽しくできるように、準備しておくまで」だ。



これも、これまで書いたことがないが。。。


私の人生は、ある時期から、ものすごくもめごとがなく、平和で、笑いに満ちている。


ただし、私が、そのために割いている時間と努力は、相当なものだ。


平和維持は、努力なくして成立しない。

だから、私は、誰よりも早く、何が起きればいいかを考えはじめる努力をしている。


自分より先に、争いや戦いが好きな誰かが、何が起きればいいかを考えてしまったら、そちらが優先された流れが生まれてしまうからだ。


(いつも人生がごちゃごちゃしていたり、思ったようにいかない人の特徴のひとつに、考えはじめるタイミングが遅い、というのがある。ただ、考えはじめるのが遅いために、自分の流れが作れない。考えることがあまり好きでない人に多いような気がする。また別に書く。)



満たしたいものは人によりけり。

その満たしたいものの中身により、人の願いは変わる。

必ずしも、平和は、優先事項ではなくなる。

満たしたいものによって、やり方が変わる。


私が関わらないならなんでもいいが、自分が関わるなら、私は、平和を譲れない。


だから、努力している。


努力は、主に根回し。

コミュニケーション。



そして、今一つ、根回しが終わり、私はもう、夫の母の介護については、その日が来るまで忘れていていいことになった。

心配もしなくていい。


あとは、夫の母がやる。


ついでに夫の母も、しゃんとしはったし、めでたしめでたし。