メッセージの出し方
これについて書くのは、これを最後にしようと思う。
経済上等。
私もあほではない。
飢え死するわけにはいかない。
私自身にとっても、今はまだ、これは怖い病気ではない。
他の病気や事故の方が、私の命にとっては危険だ。
何度感染しようとも、多分、どうということはない。
今なら熱中症の方がよほどやばい。
こちらは年齢は関係ない。
私は、マスクして外を歩く人のことを、正気の沙汰ではないと思っている。
それから、人は必ず死ぬ。
今のところ。
ただ、私は思う。
私が享受してきた平和や豊かさは、彼らが復興させた国に存在したものだ。
彼ら。
高齢者だ。
私の母が生まれた昭和二十年代、まだ、日本はとても貧しかった。
国を復興させたのは、国ではない。
必死に働いた国民だ。
その人生の最後の時期、自分たちが頑張って、それこそ、歯を食いしばるような思いもして、復興した国にされる仕打ちとして、政府が出し続けるメッセージが、あまりにも気の毒だと、私は感じ続けている。
Go toキャンペーンは、あまりにも、気の毒なメッセージだった。
旅行することが悪いのではなく、政府がメッセージとしてそれを出したことが、気の毒だった。
祖母が認知症でそれがわからないことが、私は、本当に幸いだったと思った。
その時点で、ウイルスに感染して、重症化し、死に至る確率が高いのは、基礎疾患のある高齢者が主だとはっきりしていたからだ。
そして、さんざん、恐怖を煽られ続けた後だったからだ。
恐怖を煽りに煽られた後のそのキャンペーンのニュース。
彼らは、どんな気持ちで、そのニュースを眺めただろう?
あまりにも気の毒すぎると、私は思った。
しかも、現政権に票を多くいれてきたのは、彼らの世代ではないのか?と思った。
靖国神社に参拝するのは、ポーズですか?と思った。
高齢者は必ず死ぬ。
遅かれ早かれ死ぬ。
寿命から逃げられる人はいない。
けれど、私たちに、平和を与え、豊かさを築いてくれた人たちに、あまりにもひどい仕打ちではないかと、私は思った。
メッセージの出し方がひどい。
知事さん達も、気の毒だ。
私のところの知事は、法律家で、規制をかけてこない。
ただ、彼は二回ほど、SNSに、高齢者と基礎疾患のある人にできるだけ近づかないでくれと、お盆の時期にメッセージを出した。
それが、限界だったのだろう。
経済のために人がいるのではない。
人の豊かさのために、経済がある。
お金のために、人がいるのではない。
人の豊かさのために、お金がある。
この話には正解がない。
政府はどうやっても、泥をかぶるしかない。
誰もが納得できる解決策もない。
けれど、なんのために賢い頭脳が集まってんねん、頭使えやと、私は日々思う。
年を取らない人はいない。