実践のおしえ
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Worship
Bless
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私は、教会に通っているが、細かく言えば、そこは、おそらく自分の信仰についての考え方に一番近い宗派のところではない。
それは、教会の人たちは、みんな知っている。
私自身の考え方に一番近かった宗派は、日本には教会がなかった。
系列の宗派はあるが、私の信仰に一番近かったのは、その中のリベラルな宗派で、元々の発生経路の影響で自然を大事にする。
日本には教会がない。
ひとことでキリスト教と言っても、いろいろあるのである。
まあ、祈ってるものは同じだし、教会にいるのは神さまじゃなく人間なので、その人間の集まりが自分に合えばなんでもいいと言えばいい。
私が通っている教会には、いろんな考えの人がいて、大原則さえ同じであれば、他はそれぞれを否定しないということになっている。
おっちゃんUさんには、そりゃおかしいわ!と、元気よく言う私ではあるが。笑
ともかく、それで、ここでもまた、私は、英語を必要とした。
自分にとって、英語という言語はいったい何なんだろう?と、たまに思う。
私のお勉強には、英語がいるのだ。
何だかね〜。
最初に書いた動詞6つは、アメリカにいたなら私が通ったであろう宗派が、ホームページで、ジーザスについて行くならこうしなさいよと教えているものだ。
全部、行動だ。
私は、これは実践しようとしている。
人生を回しなさい。太陽や花のように。
聖書から学びなさい。特にジーザスの声に耳を傾けなさい。
祈りなさい。
週に一度は教会に行きなさい(!。笑)
人を祝福しなさい。どうやれば、自分の人生の中で他人を祝福できるか、毎日、考えて、毎日、人を祝福しなさい。
行きなさい。社会の中で、どうやれば、ジーザスのように、ジーザスの愛を実践できるか考えなさい。
やりなさい、と、いうのがはっきりしていて、わかりやすい。
実践しなさい。
その実践は、ジーザスについて語れということだけではなくて、実は語るのは、一番、簡単な話。
ぶっちゃけ、語らずとも、聖書を読めで話はすむ。
古いことや教えは全部、書いてあるから。
さて、ジーザスなら、これはどうするだろう?と、私は、時折考える。
どのようにすれば、これは、愛の行いになるだろう?
祝福する行いになるだろう?
言葉なくして、愛や希望や平和や祝福を伝えるには、どのように行動すればいいのだろう?
私の幸いは、それをしていた人を、間近で見続けたことがあったこと。
結局、話は、祖父に戻るのである。
祖父は祈っていた神さまが違うだけで、後は同じだった。
私には、信仰を体で覚えさせようとしたが、他の人に、祖父が神さまの話をしているのは見たことがない。
とりあえず、私は、毎日、ニコニコ笑って、こんにちは、という。
これは、私の編み出した(笑)、あなたに祝福がありますように、だ。
毎日、私がこんにちはと言う人を、全員、祝福しろと、ジーザスにお願いしたからだ。
手当たり次第。
私が、ありがとうと言う人のことも、祝福してちょうだい。
私のこんにちは、と、ありがとう、は、人を祝福する言葉だから!
よろしくお願いしま〜す!
祝福するなら、顔は笑ってなきゃいけない。
それで、結局、私は、ニコニコしてることになるのだ。
そして、神さまは神さまなので、私がニコニコしてるおかげで、私は、人から親切にしてもらえることが増えていく。
なんというか、話はシンプル。
つまりは、笑う門には福来たる。
それは、顔のはなし。
顔は、実践のキャンパスのひとつだ。
ちなみに、私が一番苦戦しており、人の助けを必要とするのは、教会に行くことだ。笑
あはははは〜。笑