そのうちする霊体験

そこには確かに「私」がいた。

私が死にかけた時の話だ。


私はいわゆる臨死体験を持つ。

そして、その時の体験は、同じような体験をした人のものと、よく似ている。


私が見た景色は。

自分は暗いところにいて、川のような溝があり、その向こうに光り輝く場所があった。


私はその光り輝く場所に行こうとしたが、溝の向こうに少し前に亡くなった祖父が現れ、鬼のような顔で私に怒った。

「まだ早い!帰りなさい!」

私は生きていた祖父に怒られたことはなかった。


私と祖父が言い争っていると、私の後ろから、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

祖父は、「声の方に帰りなさい」と言った。


私は「でも」と言った。

光り輝く場所は、本当に美しくて、私は好奇心を抱いていた。


次に私が見たのは、ベッドに寝ている自分と、周りにいる家族だ。

声は聞こえなかった。


そして、次に、私が見たのは、意識を取り戻して見上げた病室の天井だった。

そばに妹がいた。



私が書きたいのは、「私」がそこにいたということだ。


ジーザスが言うまでもなく、私は、死んでも自分はいなくならないことを知っている。

少なくとも途中まで、自分はいる。

私がジーザスを信じた理由のひとつは、ジーザスが、それと同じことを言ったからだ。


ただ、そこにいたのは、神さまでも裁きの天使でもなくおじいちゃんだったけれど。


後から、いろんな人が、それはおじいさんの姿を借りた別のものだと私に言った。

知らない人の言葉には、あなたは耳を傾けないでしょう?

あなたが言うことを聞きそうな人の姿を借りたのだと。


それがそうなのか、それともあれは祖父だったのかは、私にはわからない。

知るのは死んだ後だろう。



ある時、「途中までは知ってるんだよね。あの後、どうなるんだろう?死んだ後にわかっても書けないよね」と口にした私に、祖父の息子である父が言った。

「お父さんが教えてやろう。死んだ後、君の夢に出て、お父さんが教えてやる。」


なんと、父は、死んだ後に化けて出ると言った。

側では、母が顔をしかめていた。

母は時折、私と父の会話を顔をしかめて見ている。


そういうわけで、いつかそのうち、私は霊体験をすることになる。