黄色いバスという事業:聞きたくない話も聞かせてしまう夢の力
わかった。
黄色いバスは、チャリティじゃない。
それが配るものを受け取る人は、無償でそれを受け取るが、そのために働く人は、黄色いバスに関わることで、報酬を受け取る。
私は、黄色いバスという事業をやりたいのだ。
そして、その事業を始めるにあたり、一番必要なものは、お金以外は、もう揃っている。
お金だけあれば、始められる。
運営できる人財はいる。
企画はある。
場所も決まっている。
ターゲットも決まっている。
アウトカムもはっきりしている。
そこまでは、ジーザス抜きで、揃えた。
私が教会へ通うようになる前の話だ。
だから、私が望むものは、もはや、お金だけだ。
そして、私は、神さまってすごいわ!と思った。
ジーザスが私にしたのは、スーパープレゼンテーションだ。
猫を使って。
どう?何でも可能だけど。
君が望むことなら、なんでも叶えてあげるけど。
奇跡とか得意だけど。
(聖書に書いてある。)
それを、まずは、実演してみせた。
それは非常によいプレゼンテーションだった。
(詳しくは、これとこれ。)
それを見た人たちが、わかりやすく、聖書に登場する人たちみたいに「奇跡だ」と口々に言った。
それで、私にもわかったのだ。
こういうのが得意な神様がいたと思い出して。
それを、ジーザスが叶えて、そして、その人たちは、ジーザスを信じるようになった。
神さまなんで、わざわざ、すごさを語らなくても、勝手にすごいことをする。
話では聞いたことがありますが、何も起きません、なんて、神さまじゃない。
何も起きたことがありませんが、信じてるだけで幸せですなんて、私にとっては、ジーザスじゃない。
ジーザスは、「見せる see」神さまだ。
そして、やることが派手。
そこから、私の内的世界は、新しい概念を加えて再構築されていった。
元々、マジックワールド的な内的世界観ではあったが、そこに愛と希望のミラクルワールドが加わっていった。
「神様」がどういう存在なのかは私には知りようもない。
個人の認知においては、内的世界の中のシンボルだ。
私は、一年かけて、そのシンボルの意味づけに、聖書的概念(の中から自分が納得できる部分。主にジーザスが生きている間に起きたこと。)を体験と共に加えていった。
そして、一年。
「お金をあげよう。
君が苦手なのは、貯金だね。
貯金をさせてあげよう。
君も知っての通り、満期になるまで、君の手元に現金では渡さない。
だから、君は、ただ、時が来るまで、働きなさい。」
ジーザス銀行が動き出した。
ーーーーーーーーー
現在、黄色いバスを現実的に運営してくれるだろう人は、小さな子供の笑顔の愛おしさと、その価値を体感として体に染みつけていく作業の最中である。
まだ、赤ちゃんだから、これには、少なくとも、後、数年かかる。
これは、非常に重要な作業だ。
何をおいても優先されるべき事項だ。
だから、時はその後だ。
私には、その前に、ひとつ、やることがある。
同じく、子供に関わるが、そちらも、お金を必要とする。
小規模の話なので、そこには、黄色いバスほどの大金は必要ない。
しかし、どちらも、ようは、お金が必要だ。
「愛と希望(ようするに未来)と人の幸せに関わることになら、お金を出してあげよう。」
ジーザスが、そう言った気がした。
「僕は言ったでしょう?あなた方が必要とするものは、何でも与えると。
わざわざ、書き残してもらったんだよ。
直接会えない、2000年後を生きる君たちの目にも入るように。」
いまや、私が欲しいものは、お金だけ。
他は全部持ってる。
「ほんなら、めんどくさがらんと、聞きたくないとか文句を言わずに、人を選ばず、ぐだぐだいう人の幸せにも協力せんとあかんやろ。僕が助ける人を選んだことがあった?ないやろ?見てみいな。ほんまに、信仰の薄い。」
そう、ジーザスが言ったかどうかは知らないが、私は当たり前のことを思い出した。
仕方ない。
聞くわ。
いくらでも、ぐだぐだ言ってくれ、と私は思った。
私は、ぐだぐたに負けず、ただ、尋ね続ければいいのだ。
「あなたは、何が起きればいいのでしょう?」と。
20年待ち焦がれたことを、たった十数分で起こせる魔法のような質問を。
聞きたくない話を希望に満ちた話に変換することができる質問を。
そこまでたどり着いた私に、夫が言った。
「ねえ、ホームページがまだそのままだけど。早くやれよ。」
チッ。
ホーリースピリットの回し者がここにもいた、と、私は思った。
そして、私は夫に教えてあげた。
「あなた、どう考えても、使われてるよね。」
夫は笑って言った。
「僕ねえ、住みたい家があるねん。欲しいってお願いしておいたから。」
......
私の内的世界に、ディズニーワールドに、ジーザスミラクルワールドが加わり一年。
私の現実は、小さな私が住みたいと願ったおとぎの国より、フィクションみたいなことになってきた。
メアリーポピンズが、ジーザスに弟子入りしてしまう、それは、映画では起こり得ないが、現実でなら、それは起こる。
そして、その人生のしめくくりが、黄色いバスだ。
やりたいことだけをやって手に入る夢などない。
やりたくないこともさせてしまうのが、夢の力だ。
人生は、夢の力で、なんでも起こせる。
願えば叶う。
愛と希望の力を体現することができるかどうか。
それはただ、私の信仰の厚さにのみかかっている。
黄色いバスは、チャリティじゃない。
それが配るものを受け取る人は、無償でそれを受け取るが、そのために働く人は、黄色いバスに関わることで、報酬を受け取る。
私は、黄色いバスという事業をやりたいのだ。
そして、その事業を始めるにあたり、一番必要なものは、お金以外は、もう揃っている。
お金だけあれば、始められる。
運営できる人財はいる。
企画はある。
場所も決まっている。
ターゲットも決まっている。
アウトカムもはっきりしている。
そこまでは、ジーザス抜きで、揃えた。
私が教会へ通うようになる前の話だ。
だから、私が望むものは、もはや、お金だけだ。
そして、私は、神さまってすごいわ!と思った。
ジーザスが私にしたのは、スーパープレゼンテーションだ。
猫を使って。
どう?何でも可能だけど。
君が望むことなら、なんでも叶えてあげるけど。
奇跡とか得意だけど。
(聖書に書いてある。)
それを、まずは、実演してみせた。
それは非常によいプレゼンテーションだった。
(詳しくは、これとこれ。)
それを見た人たちが、わかりやすく、聖書に登場する人たちみたいに「奇跡だ」と口々に言った。
それで、私にもわかったのだ。
こういうのが得意な神様がいたと思い出して。
その後、読み始めた聖書の中では、私に起きたようなことがしょっちゅう起きていた。
聖書の中で、ジーザスを信じるようになる人は、みな、最初はただ何かを願った人達だ。
強い気持ちで。それを、ジーザスが叶えて、そして、その人たちは、ジーザスを信じるようになった。
神さまなんで、わざわざ、すごさを語らなくても、勝手にすごいことをする。
話では聞いたことがありますが、何も起きません、なんて、神さまじゃない。
何も起きたことがありませんが、信じてるだけで幸せですなんて、私にとっては、ジーザスじゃない。
ジーザスは、「見せる see」神さまだ。
そして、やることが派手。
そういうわけで、リアル聖書の再現みたいな感じで、私は、クリスチャンになった。
聖書の中ではよくある話。
元々、マジックワールド的な内的世界観ではあったが、そこに愛と希望のミラクルワールドが加わっていった。
「神様」がどういう存在なのかは私には知りようもない。
個人の認知においては、内的世界の中のシンボルだ。
私は、一年かけて、そのシンボルの意味づけに、聖書的概念(の中から自分が納得できる部分。主にジーザスが生きている間に起きたこと。)を体験と共に加えていった。
そして、一年。
「お金をあげよう。
君が苦手なのは、貯金だね。
貯金をさせてあげよう。
君も知っての通り、満期になるまで、君の手元に現金では渡さない。
だから、君は、ただ、時が来るまで、働きなさい。」
ジーザス銀行が動き出した。
ーーーーーーーーー
現在、黄色いバスを現実的に運営してくれるだろう人は、小さな子供の笑顔の愛おしさと、その価値を体感として体に染みつけていく作業の最中である。
まだ、赤ちゃんだから、これには、少なくとも、後、数年かかる。
これは、非常に重要な作業だ。
何をおいても優先されるべき事項だ。
だから、時はその後だ。
私には、その前に、ひとつ、やることがある。
同じく、子供に関わるが、そちらも、お金を必要とする。
小規模の話なので、そこには、黄色いバスほどの大金は必要ない。
しかし、どちらも、ようは、お金が必要だ。
「愛と希望(ようするに未来)と人の幸せに関わることになら、お金を出してあげよう。」
ジーザスが、そう言った気がした。
「僕は言ったでしょう?あなた方が必要とするものは、何でも与えると。
わざわざ、書き残してもらったんだよ。
直接会えない、2000年後を生きる君たちの目にも入るように。」
いまや、私が欲しいものは、お金だけ。
他は全部持ってる。
「ほんなら、めんどくさがらんと、聞きたくないとか文句を言わずに、人を選ばず、ぐだぐだいう人の幸せにも協力せんとあかんやろ。僕が助ける人を選んだことがあった?ないやろ?見てみいな。ほんまに、信仰の薄い。」
そう、ジーザスが言ったかどうかは知らないが、私は当たり前のことを思い出した。
やりたくないことをやるのが仕事である。
それをいかに、楽しくやれるかが、プロだ。
仕事で満足を得るのはクライアントであって、自分ではない。
仕事で満足を得るのはクライアントであって、自分ではない。
やりたいことだけをやるのは仕事じゃない。
自分が満足を得たいためにやるのであれば、そりゃ仕事じゃない。
そりゃ、趣味だ。仕方ない。
聞くわ。
いくらでも、ぐだぐだ言ってくれ、と私は思った。
私は、ぐだぐたに負けず、ただ、尋ね続ければいいのだ。
「あなたは、何が起きればいいのでしょう?」と。
20年待ち焦がれたことを、たった十数分で起こせる魔法のような質問を。
聞きたくない話を希望に満ちた話に変換することができる質問を。
後ろ向きな人に前を向かせる質問を。
未来を見つめる質問を。
望みを引っ張りだす質問を。
望みを引っ張りだす質問を。
そこまでたどり着いた私に、夫が言った。
「ねえ、ホームページがまだそのままだけど。早くやれよ。」
チッ。
ホーリースピリットの回し者がここにもいた、と、私は思った。
そして、私は夫に教えてあげた。
「あなた、どう考えても、使われてるよね。」
夫は笑って言った。
「僕ねえ、住みたい家があるねん。欲しいってお願いしておいたから。」
......
私の内的世界に、ディズニーワールドに、ジーザスミラクルワールドが加わり一年。
私の現実は、小さな私が住みたいと願ったおとぎの国より、フィクションみたいなことになってきた。
メアリーポピンズが、ジーザスに弟子入りしてしまう、それは、映画では起こり得ないが、現実でなら、それは起こる。
そして、その人生のしめくくりが、黄色いバスだ。
やりたいことだけをやって手に入る夢などない。
やりたくないこともさせてしまうのが、夢の力だ。
人生は、夢の力で、なんでも起こせる。
願えば叶う。
愛と希望の力を体現することができるかどうか。
それはただ、私の信仰の厚さにのみかかっている。
不安やわ。笑
「安心しとき。あんたの信仰の薄さは、よ〜く知ってる。そのために、ホーリースピリットはんが、あんたのお尻をせっせと叩きますさかいな。あんたは、お尻を叩かれとったらよろし。」
「安心しとき。あんたの信仰の薄さは、よ〜く知ってる。そのために、ホーリースピリットはんが、あんたのお尻をせっせと叩きますさかいな。あんたは、お尻を叩かれとったらよろし。」
アーメン。。。。