スキルです!と声を大にして言いたかった話

昨年、クリーンランゲージ&シンボリック・モデリングのフィールドワークの場所として、私が選んだ場所は、福祉業界だった。
きっかけは、認知症の祖母がクリーンな質問には反応し、いい結果が得られることが多かったこと。

手っ取り早かったので、近所の訪問介護事業所で、週何回かヘルパーのバイトをし始めた。
結論から言うと、クリーンのスタンスは、使いやすいし、ヘルパーも楽。

私は、「ややこしい」と言われる利用者さん達からも好評だった。
事業所にでたクレームもいくつか解決に関わった。
私は利用者さん達の気持ちを聞き出すのがうまいと褒められた。

その際に、私は、いつも、毎度、不満なことがあった。
上司が「人柄だねえ」と私を褒めることだった。
人柄じゃねえ、スキルだ!と私は声を大にして言いたかった。


なんでもかんでも、人間性や人柄や精神性で片付けるんじゃねえ。

「できない」理由は、人間性や人柄や精神性じゃないことの方がうんと多い。
「自分」に何かあるかもしれないが、ないのは、「スキルが足りない」ことだけの場合だって沢山ある。
「やってない」だけのことも沢山ある。

セッションを長い間してきたかぎりの経験では、「やってない」ことが最多だった。
自分がやりたい努力をしていて、効果がある努力はしてないことが、ものすごく多かった。
やらない理由は様々で、そこを解きほぐしていくことが多かった。


なんでもかんでも、生まれ持ったり、自然に身についたり、才能といったことで片付けるんじゃねえ。
私は、そう思った。

「これはスキルだ!」
私のコミュニケーションスキルが、仕事上高いのは、必死で勉強したからだ!と、私は声を大にして言いたかった。

しかし、言わなかった。
その後のやり取りは想像できたからだ。

「そういうのを勉強しようと思うのが偉いよねえ。」
私はこのセリフを少なく見積もって20回は聞いたことがある。

人間性ができているから、そういうのを勉強しようと思うのだそうだ。
疲れるから、ニコッと笑って、お礼だけ言って、言い返さないことにしている。

偉いとか偉くないとかじゃない。
仕事を快適にしたかったから、仕事で結果を出したかったから、だから勉強しただけだ。
そして、私は元々コミュニケーションスキルは低くなかったので、伸ばせばより効果が出るだろうと思っただけだ。
苦手なことを勉強するより、得意なものを伸ばした方が結果は早い。


私は時々思うのだけど、なんでもかんでも、人間性、精神性に結びつけることこそが、話をややこしくしてることって、沢山あるんじゃないかと思う。

少なくとも、コミュニケーションは、「どう思うか」ではなく「どう話し」「どう聞くか」という行動の話。
自分を高めても、言葉が出なければ意味はない。
何しろ、コミュニケーションだ。
しかも相手は人間だ。エスパーじゃない。

振る舞いと言葉を変えれば、コミュニケーションは必ず改善する。
心は後でいい。
なんでもかんでも、心から入るのがベストではない。
心からやっていて結果が出ていないなら、もう、その辺に売ってるコミュニケーションの本を買って真似する方が、多分100倍くらい早い。
やるかやらないかだ。


特に仕事上においては、クライアントがいる場合、自分が考えてることなんて、関係ない。
むしろ、自分の感情を置いておけない、自分の考えを表現から離して置いておけないことの方が、話をややこしくする。
相手の考えを知る努力をひたすらするだけで、自分の考えは、必要ならば、後からゆっくりやればいい。


感じることと行動を、自らの意思で切り離せない人の話はややこしい。
言葉を変えると、俯瞰できない人の話は、思い込みに満ちていてややこしい。
特に「人は誰でも傷ついている」というデフォルトで生きている人の話はややこしい。
これは、何かを勉強した人にすごく多い。
傷ついた人の話を聞きすぎたせいだと思う。

これは人間性そのものとは関係ない。
すごく温かさに満ちていて優しい人でも、コミュニケーションが上手じゃない人はいる。


私のスキルは、それを切り離せることだ。
それをトレーニングし続けたことだ。

ここには、人間性は一切関係ない。
精神性も関係ない。


それは、ただのスキルだ。


ただ、一つだけ言えることは、スキルは、人間性が高いように見せることがあるということだ。
そして、「人間性が高い」ことを好む人が世には多いということだ。

単にコミュニケーションスキルを習得していることを、「人柄がいい」「人間性が高い」「精神性が高い」と言われることが多かった私としては、世の人は一体何を、「人間性が高い」「精神性が高い」「人柄がいい」と言っているのかが非常に謎だ。


自分にとってはなんだろうな。

……そもそも違いがあるだけで、高い低いはなかろうというのが私の考え。
人間性にも、精神性にも、人柄にも。
いいも悪いも、高いも低いもないだろうと考えている。
基準がそもそもわからない。
あるのは、単に、好みじゃない?と。
自分が好きなものが高くて、自分が好きじゃないものが低いだけじゃない?と思う。

なぜなら、私は意識が高いと言われる言動の中で、大嫌いなものがいくつかあるからだ。
選民思想が混じるものは、私は好きじゃない。
全てを自己責任で片付ける意識の高い論調は私は大嫌いだ。
生まれた後の自己選択で人生が分かれていくのは確実にあると思うが、どうやって生まれる国や生まれる家庭に自己責任を取らせるのかという。
ストリートチルドレンの前で、それが言えるかどうか。

しかし、それもまた、単なる私の好みだ。

私にも好き嫌いはある。
どういうのが優れていて、どういうのが優れてないっていうのはないと思うんだよな。


ともかく、「人柄は関係ありません。スキルです!」と私は声を大にして言いたかった話。


人柄は、ある人にとってはいい人だろうし、私のことを大っ嫌いな人もこの世にはいるだろうし。
いろいろだ(笑)

どうでもいい。