休む

最近、何人かに同じことを話したので、書いてみる。

今は、大事なことは決めない方がいい。
誰しも頭が相当疲れているはずだから。
非常時を経験した後は、いつもと違う考え方をしなくてはいけなかった脳みそは疲れている。

新しく始める判断は、おそらく大丈夫だけれど、何かをやめる判断は、慎重にした方がいい。
ただ、頭が疲れているだけの場合があるから。


アレにかかっていた人の方が、頭の疲れは少ないと思う。
それが現実だったからだ。
見えない恐怖ではなく、単に体が体験した病だ。
そして、治った後は、他の人よりは、病そのものに対する不安と恐怖は、おそらく減る。
未知ではなくなるから。
そして、少しは耐性もできてるだろうから、外の世界への恐怖心はかかってない人よりは少ないだろう。


ほとんどの人は、そうじゃない。

戦っていたのは、見えない、触れない正体不明のものへの不安と恐怖だ。
そこに、生活そのものが成り立たなくなるかもしれないという社会不安までくっついていた。

大人の頭は、相当、疲れているはずだ。
子供がいる人は、守らなくてはいけない存在がいた分、いない人よりも疲れているはずだ。


頭が疲れているということを認識できないのは、健康的じゃない。
さあ遊ぶぞ!と遊んでる人の方が、まだ考え方は健康的な気がする。
ストレスを解消しようとしているから。


病気はいつでもゴロゴロ転がっていて、不治の病も山ほどある。
アレは、治療体制さえ整えば、普通の病気になる。
医療崩壊だけが問題なのであって、死ぬのは、そう特別な話ではない。
後遺症が残るかもしれないという話もあるが、それも、他の病気でも同じ話だ。

ワクチンのない病気も、山ほどある。

自分の免疫勝負の病気には、私たちは慣れている。風邪だ。


外に出れば、いつでも、病気をうつされるリスクはある。
事故にあうリスクもある。

そして、社会不安も、生活が成り立たなくなる不安もいくらでもある。
それは、いつでも、個人個人の人生に存在している。


もろさはいつでもある。
そういう意味では、今は、あまり特別な時期でもない。

けれど、特に、新しい環境が苦手だったり、環境の変化への適応がゆっくりしかできなかったり、ストレスに弱かったり、不安と恐怖への耐性が低かったりという特徴を持つ人は、頭が相当疲れていると思う。

大事なことは、頭が疲れている時に決めちゃいけない。
選択と判断を間違う。


まずは、頭が元気を取り戻すことが優先。


つまり、私は、今日と明日の衣食住が確保できているなら、今は、休むことと遊ぶことをおすすめする。

休めないのは、不健康な思考のわかりやすい状態だ。


長い長い旅路には、休憩が必ず必要だ。


まるっと休みだったみたいな人も、頭は休んでいなかったと思うから、やっぱり、頭にお休みを提供するのをおすすめする。