あの口の悪さをどうにかして!と、娘全員に文句を言わせる祖母の愛

私には、認知症の96歳の祖母がいる。
母の姉の叔母が、一緒に住んでいる。
ちなみに、叔母には夫がいるが、叔母の夫と祖母が、どちらも口が悪すぎて、昔繰り広げた喧嘩のため、叔父は別に住んでいる。

美人だった祖母から私がもらったのは、まつげの長さと丈夫な肌質、そしてよく笑うことと気の強さ。

祖母は、アルツハイマー型の認知症ではなく、何か別の認知症ということまでわかっていたが、祖母が見えない子供たちをよく見るので、幻覚が出るタイプのレビーなんちゃら認知症だろうと、最近、お医者さんは言った。

ちなみに、この型の認知症になる人は少ないが、私は父方の祖父もそうだったので、きっと、自分もそうだろうと踏んでいる。
祖父と祖母を見ている限り、それはなかなか、楽しそうな世界が繰り広げられる。(幻覚の種類によると思うけど。)
幻覚を見がちな家系。


祖母と叔母は、毎日、対等に喧嘩を繰り広げる。
認知症の人に怒るのは、脳が萎縮する最悪の対処法だが、祖母に関しては、祖母の口が悪すぎるので、祖母と対等に喧嘩ができるこの叔母しか、祖母とは暮らせない。

毎日、「ご飯はもう食べたかね?」と祖母は聞く。
叔母は、「さっき、食べたじゃ。」と答える。
これは、セオリーとしては、最悪の回答だ。

教科書には書いてあった。
”空腹感を感じているということに共感を示し、対応しましょう。”
”少しだけ食べてもらうと落ち着いていいでしょう。または、食べたことを思い出せるように、食器をすぐに片付けるのはやめましょう。”
”怒られたり、否定されると、認知症の人は萎縮してしまうので、気をつけましょう。”


祖母は言う。
「ああ、聞かにゃよかった!聞いて損した!あんた、もう少し、優しく言えんかね!」
そこに、気の毒さは全くない。委縮している気配もない。
「なんて口の減らない」と叔母はいい、私は、毎回、大笑いしながら聞いている。


先日、叔母と話していた時、話は祖母が毎夜繰り広げる真夜中童謡クラブの話になった。
祖母は、毎夜、夜中、ひとりで童謡を歌う。
たちが悪いのは、「誰か一緒に歌え!」と言うことで、ベッドの柵をガンガン叩いて、歌え!とアピールする。

そこに、最近、見えない子供たちが現れるようになったのだが、どうやら、祖母には幻聴はないらしく、子供たちは歌わないらしい。
それで、祖母は、「歌わんのなら帰れ!牛か!」と、見えない子供たちに、怒っているらしい。

私は、「おばあちゃんは、幻覚に厳しいねえ」と笑った。
叔母は、「すぐ牛って言うのよね。見えない子供も、ついでに歌ってくれれば、楽なのに。気が利かないわね」と、これまた、幻覚にクレームをつけた。

そして、私たちは、ゲラゲラ笑った。

私は言った。
「おばあちゃんには悲壮感がないから、いくらでも文句が言えて、それが、おばあちゃんのいいところね。」

叔母は言った。
「言い返さなくっちゃ、こっちがやられてしまうわよ!それにしても、あの子供たちは、気が利かないわ。」


ちなみに、私が行くと、祖母は別人のように優しくなる。
そして、自分から言う。
「頭と口が悪くて、どうにもね。」
自分でわかっているのである。

私は、新しい祖母のお気に入りのヘルパーさんとして、毎回、祖母には認知される。(祖母は、もう、私がわからない。)
完璧にヘルパーとして、私は振る舞う。

言葉がけのやりようで、多分、祖母が優しくいられる方法はいくらでもあるのだが、祖母と叔母の暮らしに関しては、2人で喧嘩しあって、私はそれを聞いてゲラゲラ笑うが正解のような気がしている。

最近叔母は、私がやってきた時のために、キーボードを購入した。
あと何回、私と祖母が会えるかはわからないが、真夜中童謡クラブの伴奏係という役が、次回は待っている。

みんなが文句を気兼ねなく言えるようにしてくれ、祖母を大好きな娘たちに、祖母の死が近づいている寂しさを感じさせないところに、私は祖母の母としての愛を感じている。
誰と話しても、全員が言う。
「あの口の悪さをどうにかして!」

そして、全員、笑っている。