与え、分かち合い、笑い、楽しみ、喜ぶ

気づきは一日ひとつシステムなのか?
まとめてくればわかりやすいのに、最近の気づきは、少しずつ、やってくる。

昨日、私には聞きたくない話があること、方針を模索したり固めたりする時間は一年と気づき。

今朝は、ああ!なるほど!と気がついた。
昨日の話で、何もしなかった6割と、私が聞きたくない話をする人たちの共通項。
そこには、サバイバルの仕方の共通項がある。

与えない、分けない、分かち合わない、もらうことだけ考えるという共通項。

料理屋さんが、店を開けてはいけないと言われた時、4割は、料理を食べさせる方法を考えた。
与える方法を考えた。
6割は、お金(だけ)を考えた。


自分が与えられるものを考え続ける人の悩みや愚痴は、私は、聞くのは時間の無駄だとは感じていない。
人生の困難に立ち向かう人の弱音を慰めるのも時間の無駄とは思わない。

私が時間がもったいないから、聞きたくないのは、自己成長や自分の人生がよくないことを嘆くだけのための悩むための悩みや、変わるために何もしない人の話だ。
もらうことだけ考える人の話し。
だいたい、すごい大変なことになってる。
与えることを何もしないのだから、そりゃそうだ。

まず、人のためには、笑わない。
笑いながら挨拶しない。
顔は自分のものだと思っている。
だから、見分けはすぐわかる。


それで、私は、やっぱり、今は、平時ではないと、自分の体は判断してるんだなと理解した。
私は、サバイバルモードなのだ。

このサバイバルモードは、生命の危機なのではなく、「みなに平等に訪れているチャンスの時間」に対しての、サバイバルだ。

こんなの多分、一生に一回しかない時期だから。

与える、分かち合うことをしなければ、生き残れない。
それぞれ、そのための方法を見つけなければいけない。
なおかつ、自分も楽しくなければいけない。
生きる喜びみたいなことと、このサバイバルは、関係している。

与え、分かち合い、楽しみ、喜び。

私は、与え、分かち合い、楽しみ、喜びながら、サバイバルする方を選んだから、同じやり方でやる人を助ける、または、本当に困っている人を助けると決めた。
あとは、知ったこっちゃない。

ということらしい。

それが、私のサバイバル。


面白くない愚痴や悩むための悩みは、時間は搾取するけれど、分かち合える何かは生まないから、だから、聞きたくない。
話す内容ではなくて、どのように話すかが、私には大事なんだと思う。


与え、分かち合い、笑い、楽しみ、喜ぶ。