聞きたくない話。聞きたい話。

私は、この10年くらい、人の話を聴く・聞くことに、たくさんの時間を使ってきた。
そして飛び出た「聞きたくない。」


しかし、それでも、聞きたくない話を聞かざるを得ない人たちは、身内にいる。

仕事や選べるプライベートでは、もう、聞きたくない。
そう、私は思った。
可能かどうかは考えなかった。
ただ聞きたくないと思った。

嫌だ。


そうしたら、何が起きたか?


さっき気づいたけれど、私は、話を聴くのをやめなかった。
話を聞かせて欲しいと、人を選んで、連絡しはじめた。
私が聞きたい話を聞かせて欲しい。

私が聞かせて欲しいと望んだ話は、困っている人達の話ではなかった。
過去に苦労したか、より豊かに生きる方法の知恵か。
笑いを伴って話されるそれら。

乗り越えた話を聞かせて欲しい、知恵を聞かせて欲しい、人に分けるために、それらを聞かせて欲しいと、私は頼んだ。
苦労話ではなく、いかにして乗り越えたか。
ルールではなく知恵や工夫。


私は、聞いて、話す、ことを選んだようだった。
自分はその話は聞きたくないけれど、手助けするのをやめようとしたわけではないようだった。
自分は聞きたくない話を聞かずして、聞きたくない話を持つ人のところに、何かを届けようとしているようだった。
私は助けない。
ただ、聞き、話し、作る。


嫌だの裏には好きがある。
私の場合は、嫌だ、は、悪い単語じゃない。
もともとあまり、嫌がないから、嫌は、好きより力がある。


聞きたくないは、聞きたい話を教えた。
聞きたい話を聞いていれば、それでいいよ、と、私に伝えた。

そして気づいた。
私が聞きたくないのは、人に分けられない話。
少なくとも、私は、誰かに分けたいと感じない話。

そうか。
分けられるものを集めたいのかと思った。