ニョッキと一年

44度。
22時22分。

昨夜、きれいな数字の並びと共に、私は友人夫婦の家を後にした。
お土産に、フレンチシェフのだんなさんが作った二回分の食事を持たせてもらって。
二十年、味にうるさい大阪の町で、腕一本で店を続けてきたこの人が作る料理はおいしい。

ここしばらくの流れで、彼はテイクアウトをはじめて、それで、私に、そのお弁当二回分を持たせてくれたのだ。

それで今朝は朝から、ニョッキを食べた。

彼が言うには、大阪の真ん中で、飲食店を営んでいる店の6割がは、完全に店を閉め、残りは、今までやったことのないテイクアウトとデリバリーに挑戦したということだった。

結果、二ヶ月過ぎた後、テイクアウトとデリバリーをした店とそうでない店に開きが出たと、彼は言った。
チャレンジした店は、少しばかり、新しい顧客と、休業補償以外の少しばかり余裕の売り上げがあり、いつもより、収入が多いことも多々あると言っていた。

何もしなかった店は、大変になっていると言った。


昨日は、新しい時代の話をたくさんした。
友人夫婦もやはりそれを感じていて、みな模索中だった。

自分の人生を考えていた。

私の口は、「猶予は一年」と言った。
方向性を探るのに、考えるのに、悩むのに、模索するのに、私たちに与えられた猶予は一年。
それ以上は悩み続けるなと言った。
波に乗るためには、その間に、方向性を決める必要がある。


それは、何の根拠もないことで、人のために、口から出た言葉だったけれど、ニョッキを食べながら考えたら、自らへの言葉でもあった。

ジーザスは、私のことを、私だけには教えない。
誰かのために話す時、そこに、私へのアドバイスも突っ込んでくる。

昨日は、私も、自分がしはじめたことの話をした。
昨日、私は、最近亡くなった友達のお母さんにお線香をあげに行ったのだが、お母さんの遺影の前で、私と友達は、未来の話を延々とした。

私の心境の変化も話した。
そこで、それまで、気がついていなかった自分の気持ちに、私は気がついた。

私は言った。
私はもう、お金をもらっても、聞きたくない種類の話があると。
自分の時間を、その種類の話を聞く時間に使いたくないと。

そして、細かく、どういう時はよくて、どういう時は嫌なかのかも話していた。
それは、そこまで、はっきり考えていなかったことだった。


自分が恵まれていることを棚上げした悩むための悩み、人間への感謝がない話、自分を正当化するためだけの他人の悪口、愚痴、できない理由、そういうものを、私はもう、お金をもらっても聞きたくないと、私は言った。

それらの存在は永久にあるだろうし、それらを否定はしない。
それらは、必要なこともある。
けれど、私の時間を、そこに使いたくない。

自分がどういう人を助けたいのかも、友達に話してはっきりした。


すでに手はつけていたので、私がやることは変わらないけれど、意識づけはやっとできた。

私はよくわからず、楽しそうだという理由だけではじめることが多い。
他の理由より、それが勝る。

けれど、他の理由もいつも存在して、それは、後からわかることが多い。


昨日は、それがわかった日だった。


私がもらっている時間も一年。
自分のことに集中できる時間は一年。

一年経ったら、夫が帰ってくる。
だから、それまでが、朝から晩まで、ひとり好きに使える時間。

ニョッキを食べながら、私は、もぐもぐ、それを咀嚼した。