私は、問題(悩み)を解決したり、気持ちに折り合いをつけるためのレメディとしてではなく、幸せや笑顔、望み(願い、希望、夢)を「実現」するためのリソースとして存在したい。

ああ、アウトカムが出た。

私が自分の嫌に注目する理由は、これだ。
私の場合、嫌の後ろには、ほとんどの場合、自分の真ん中に近い強い望みが隠れている。
やりたくない、したくない、嫌は、「大事なことがその奥にあるよ、考えてごらん」というサインだ。


そして、この答えにたどり着ける人と、たどり着けない人の差がある。
それは、試行錯誤の行動をするかしないかだ。

考え方がポジティブとかネガティブとかそんなことは関係ない。
物凄い考え方も性格も暗いのに、人生幸せそうなうまくいっている人は、腐るほどいる。

試行錯誤の行動をしているかしていないかが、差を分ける。
セッションやワークショップという意図的にアウトカム(願い、望み、ゴールなど)を出そうとする場ではなく、日常の中で、それが発露する時は、ほとんどの場合、試行錯誤の行動の中で、それは生まれる。


今回であれば、ホームページがこの件には絡んでいる。
大体の場合、誰でも、何かきっかけがあって、問題に気づく。

そして、不健康な思考でない場合は、問題をほじくり返さず、問題を解決する方法を考え始める。
不健康な思考の持ち主は、ここで、問題そのものについて延々と考え、そこに、自分の感情を乗せていったり、問題をふくらませていったりする。
そして、そのように考えるのは、過去に原因がある、と過去まで遡って話を壮大なものがたりへ展開させていく。

目線は過去に向かい、下手すると、過去の嫌なことまで思い出す。
その間、現在の問題は放置される。
そして、嫌な気持ちになって戻ってくるから、自分のコンディションが下がっていて、より問題は解決しにくくなる。

少なくとも、「今の問題」そのものを考える時に、「過去の似たような事例」を考えるのは、完全に時間の無駄。
その「過去の似たような事例」で、自分が、問題を解決できなかったのであれば、もっと無駄。
その「過去の似たような事例」は、全く参考にならない。
その「過去の似たような事例」は、せいぜい、その方法は失敗するからやめておけというご案内くらいのものだ。


なぜならば、「今の問題」は、未来で解決する。
過去と未来は同じではない。

同じ失敗を繰り返す人の、一番大きな理由は、「過去の似たような事例」を思い出すからだ。
しかも、うまくいかなかったバージョンの事例。
そして、尚且つ、うまくいかなかっただけで放置されていた記憶の場合が多い。
大体「ああ、もっとこうすればよかった」と考えることが多いだろうから、その「もっとこうすればよかった」の方を思い出す必要がある。
そっちは、改善策や工夫が含まれているから、参考にできる場合がある。

なぜかは知らないが、悩み多き人々は、そちらは思い出さない傾向が強い。
思考が健康な人と、不健康な人は、「過去」の利用方法が異なる。


試行錯誤を続けていても、アウトカムが生まれない人は、過去を眺めすぎだ。
アウトカムは未来にある。

未来に欲しいものを考えること。
過去に欲しくて手に入らなかったものにこだわるのをやめて。


さて。
私の、この自身の仕事の根幹に関わるアウトカムは、ホームページをああでもない、こうでもないと考えていた中で、「もう、今日はやめ!」と放り投げて、お風呂に入ってぐっすり眠った次の朝、つまり今日の朝に生まれた。

昨夜、私は、散々、ぶつぶつ文句をいいながら、とてもお聞かせできない悪態をつきながら、ホームページを作っていた。
昨日は、気分転換に、ブログを2本書いた。
仕事と関係ない、キリスト教がらみの話。

私の経験上、「もうだめ!」とか「知るか!」とか半ば諦めた後に、アウトカムはぴょこんと生まれ出ることが多い。

それから、気分転換は非常に大事だ。

ともかく、昨日までに作ったホームページは、ボツ決定だ。
つまり、失敗策だ。
仕方あるまい。



タイトルが私のアウトカムだ。
これを、もう少し膨らませて、ホームページに落とし込もう。

アウトカムは、膨らませれば膨らませるだけいい。
具体的に。