なぜ幸せになろうとしないのか?

ちょうど10年くらい前の私が、よく自分に問いかけた質問。
なぜ、幸せになろうとしないのか?


私は幸せだった。
中途半端に。

幸せに中途半端も何もあるかという感じだが、中途半端に幸せそうだと、人からもよく言われた。


当時は会社を辞めてしばらくした頃で、その頃、私は、発注ミスが発端で資金繰りに間違いをして、アルバイトで占い師をすることにした。
最初は、空いた時間、コンビニでアルバイトするつもりで、「京都 アルバイト」と検索をかけたら、Google先生が何を考えたか占い師募集(正確にはヒーラー募集)をしていたヒーリングカフェをトップにもってきて、それで、そこに履歴書を持って面接に行った。

ちゃんとした履歴書を持って来たという理由で採用してくれた。
私は、占い師のキャリアがなかったので、人生年表を書いて持っていった。


人の話は、そのうち聞くつもりで、心理カウンセリングを勉強していたが、50歳くらいになったらやろうと思っていたから、15年くらい早まった。
お金が足りなくなるのがわかったからだ。

私は、数字を使ってする占いの本を一冊読んで、頭に叩きこんだ。
数字を選んだのは、覚えることが一番少なかったからだ。
それから、タロットカードを覚えた。
あとは、カウンセリングの技術でやろうと思った。


なんともうさんくさいが、なんとかなった。
その頃、東京の知り合いが働いている占い館のオーナーさんが、うちに来て働かないか?と、面接もしてくれた。

その面接で、私とオーナーさんは、幸せについて延々と議論した。
私の幸せの概念と、オーナーさんの幸せの概念に差があったからだ。

私の幸せの概念は、恒常的な状態をさし、オーナーさんのそれは点だった。
やがて、オーナーさんは、「一般的には、あなたがいう幸せは、悟りの状態だろう」と言った。
私は東京には行かなかった。


空き時間に働きはじめた京都のヒーリングカフェには、先輩がいっぱいいた。
ものがたりの世界に迷いこんだみたいなあまりに不思議な日々だったので、いつか、その日々については書きたいが、まだ書けない。

そこにいたキャリアのクソ長い人たちの何人かは、「中途半端に幸せだ」と、私のことを言った。
他の人も言った。


私は、最初よく意味がわからなかったが、やがて、自分に問いかけはじめた。

「なぜ、幸せになろうとしないのだろう?」


やがて、答えがちらほらやってきた。
当時は今のように速やかには答えは来なかった。
当時まだ、私は、自分で考えることを放棄していなかった。


当時、友人たちは、私の人生は、パンクロックだと笑っていた。
確かに波乱万丈系だった。


最初にやってきた答えは、「だって幸せって退屈そうだもの」だった。

(今でもそういうところはある。
例えば、私は、アダムとイブがりんごを食べ、エデンの園を追い出されたことには感謝している。
聖書に書かれているエデンの園は、実に退屈そうだからだ。
全く憧れない。
私は自分が罪深いことに感謝する。
神さま、どっちみち、許してくれる。
そして、私は、エデンみたいな天国は望まない。)


悩みがないのは退屈そうだと、私は思った。
そうか。
悩みを解決していくのが楽しいのかと、私は気がついた。

「悩みはなくても楽しいことは別にあるわよ」と、誰かが言った。



次にやってきた答えは、「自分のことが終わったら、他人のことしかやることがなくなる」だった。
私は、ケチだ。

結局、自分について悩んでる間は、自分のことをやってる。
自分のことをやりたいだけじゃないかと、私は思った。


最後にやってきたのは、怖い、だった。
私は知らない。
本当に自分が満ち足りている状態を、生まれてから一度も経験したことがない、と、私は思った。

知らない世界は怖い。
そうか、幸せになるのが怖いのかと、私は気づいた。


おかしな話だ。
人の幸せのための話はするのに、自分はそれが怖いだなんて。
悩みがないのは退屈だなんて。
自分のことがやっていたいからだなんて。


長い時間が経って。

私は、当時の自分に、大丈夫だと言ってやりたい。
大丈夫。

退屈じゃない。
怖くもない。
分かち合うのは楽しいし、もう誰も奪おうとしない。


過去に声が届くなら、大丈夫だと、言ってあげたい。

そして。
そこまではひとりでは行けない、誰かの助けが必ず必要だけど、必ず誰かが助けてくれる。
助け合う世界が待ってると教えてあげたい。


そこは楽しい。
心配するな。

ついでに、人間性は残念ながら全く成長していない、あなたはあなたのままだと教えてあげたい。
ただ、なぜかはわからないが、あなたのままで問題が起きなくなるし、あなたのままでいいと沢山の人が受け入れてくれる。

だから、大丈夫だと、過去の私に、教えてあげたい。


あなたが幸せになると、この世の幸せの総量は増える。
それは、決まった総量を取り合うものではなく、どんどん増幅するものだ。
そして、共振して、新しいものがどんどん生まれる。
だから、全く遠慮はいらない。


大丈夫だと、教えてあげたい。


それで、当時の私がどうやって、その壁を乗り越えたかというと、それは、ここ10年、私がセッションで何度もクライアントさんにさせた方法を使った。

「幸せになると決める」


幸せになりたい、を、手放して、幸せになると決めること。

幸せが何かは、人それぞれ。

幸せになってみて、退屈だ、つまらない、これはいらないと思ったら手放せばいいだけの話。
なってみてから考えればいい。