他所へ行ってくださいと書けばよかっただけと言うことに気がついた話

私は、基本的には、お尻が割と重たいタイプというか、現状にそう不満を抱いておらず、むしろ現状が変わる方がめんどくさい。
適応能力も低くないので、環境が変わってもついていける。
必要がなければ、自分からは動かない。
動く時には能動的に動くので、私を非常に活発な人だと思い込んでいる人は割と多いが、基本的には受動的に生きている。
起きることに対応している。
大体、待ちの姿勢。何か思いつくまでは。


必死で稼がなくてよくなった10年前くらいからは、毎日、普通に楽しいだけ。
日々をただ生きてる。


仕事も、なんら工夫しなくても、なんとなくいつもあるので、まともに営業活動もしなければ、グラフィックデザインを売るのに、自分のサイトはいつも後回し。
特にセッションのサイトは、遊び半分で作った動物の森状態で放置してきた。

あのサイトから申し込むのは勇気がいると思われるが、それでも、サイトからもポツポツ依頼はあったので、ほったらかしてきた。
まあ、だいたいが、セッションもグラフィックも口コミなので、はっきり言って、サイトはどうでもいいと考えていた部分もある。

企業を維持しているわけではないので、莫大な売り上げを私は必要として来なかったから、それでよかった。


さて、ここに来て。
あのサイトをなんとかしろと、半ば呆れて言う男が登場した。
夫だ。
この人が、私の仕事に口出しするなど、前代未聞である。


かつてないことが起きたので、私は、こりゃなんかのメッセージと思い、サイトを作り替えることにした。
しかし、進まない。

考える必要が登場したことがあったからだ。
そもそも、セッションを続けるのかどうかという話。


少し前に書いているけれど、私には、もうお金をもらっても聞きたくない話がある。

悩み続けたいという悩みだ。
それから、自分は変わらずに他人を変えたい、他人が思い通りにならない、という悩み。
行動せずに、考え方だけでなんとかしたい話。
自分が悪くないことを確認したいだけの話。
お花畑を生きていたい話。
大人になりたくない大人の話。
自分だけが幸せになりたい話。
その人の望みが叶うと、明らかに、不幸な人が生まれてしまう話。
誰かを妬む話。
誰かの悪口。
傷にこだわり、傷口を舐める話。
困っていたいだけの話。


はっきり言って、その話は、両者にとって、するだけ時間の無駄である。
やりたいように、やればいいのだ。
人生は自由だ。
そして、それらができる時、その人は追い詰められていないから、助ける必要もない。
私の考えでは、ほっといていい。
本当に追い詰まっている人は、そう言う話はできない。


生活費が必要なら、時間を売るけれど、今、私はその状態にない。
私は、時間ではないものを売りたいと思い始めている。
短いセッションは、すでに無料で、その辺でしている。
つまり、相手の話だけを聞く時間、自分のことは話さない時間は、わざわざセッションしなくても割とある。


さて、有料のセッションを続けるかどうするか。


私の出した結論は、完全にはやめないだった。


じゃ、どうするか?だった。


今朝、どうして、もっと早くこうしなかったのだろうという考えが、頭に浮かんだ。

聞かない話を書いて、そういう話は、他所へ行ってくださいと書けば、それでよかったのだと、私は気がついた。
うちには来るなと書けばよかったのだ。


セッションしている人は、山のようにいる。


いわば、ドレスコードを作るみたいなものだ。


それらの悩みを、私は否定しない。
その人にとっては、価値ある悩みなのだから。
他人が価値を認める悩みを、しょうもないとは言えないし、そうも思わない。


全ての悩みは、本人にとっては、一大事だ。


ただ、私は聞きたくないだけだ。
私にとっては時間の無駄だからだ。
(こういう考えが浮かび始めたのは、年齢もあると思う。)

そして、それから。

そっか。
なんで早く、聞きませんと書かなかったのだろうと思った。

そうすれば、その悩みを手放さないことこそが、あなたが幸せになれない理由だと、教えてあげられたのに。
幸せになりたいなら違うことを考えろと、望みを変えろと、暗に伝えられたのに。

同じ事象に対して、同じ問題に対して、何を悩むか、何を望むか。
それは、人生に明らかな違いを生む。

それをさっさとやらなかった私は、やっぱりケチだと思った。


これね。
私だけではないと思う。

「好きなこと」を探るのも大事だけれど、忍耐強い人の場合は、「嫌を探る」ことは割と大きい。
「嫌を取り去る」ことで、自由に動けるようになることもある。

嫌なものばっかりの人は、「好き」を探した方が良い。
少ない方が特別だから、少ない方を探すといいと思う。

大体、私は、好きなものだらけで、嫌なことの方が少ないから、嫌の方が特別。

ほらね。
ちょっと真面目に考えたら、人に分けられることが登場した。

やっぱり、私はケチなのよ。笑