おっちゃんUさん、男泣きの巻

先週の礼拝後、私は、迷い続けた。
礼拝に行くか行かないか。
神さまと繋がるのに、礼拝は必要ない。
24時間365日、一緒だ。

すると、無いことが起きた。

私がいくら礼拝に自由気ままに参加しようと、これまで、それについて何も言わなかったYさんから、ダメ押しで、礼拝に来いと言うコメントがSNSに入った。

チッ。
ホーリースピリットめ。
行けと言うのだな。
私の味方ではないのか?
私が快適に礼拝に参加できれば、いいんじゃないのか?



そして、今朝、起きると雨が降っていた。
仕方ない、雨が降ったからお休みしよ〜っとと、私は思った。
そうしたら、雨が止んだ。

チッ。
忘れていた。
ジーザスは、気候も操るのであった。

「雨が嫌なの?
じゃあ、雨を止めてあげよう、信仰の薄いものよ。」
天からそう聞こえた聞こえなかったか、私はしぶしぶ、教会へ向かった。


本日の聖書朗読は、出エジプト記からだった。

I am that I am.のところ。

この箇所は、そもそもヘブライ語だが、訳が、聖書によって違う。
非常にたくさんに分かれている。
英語もいっぱい、日本語もいっぱい。

礼拝後、「私は(I am)」の話になり、そこから、何がどうだか、「神は、神はとうるさい」と、私はおっちゃんUさんに言い始め、何がどうだか、みんなで、おっちゃんUさんのグループワークみたいなことになった。

そして、その流れで、何がなんだか、私は、おっちゃんUさんに、
「あなたは何が起きればいいのでしょう?」と尋ねた。
そして、短いセッションを、みんなの前でした。


そして、何がなんだか、おっちゃんUさんに何かが起きた。
おっちゃんUさんが言うには、「二十数年待ち焦がれたこと」が起きたという。

そして、おっちゃんUさんは、涙ぐみはじめた。

私はにこやかにしていた。
何が何やらさっぱりわからん。
なぜならば、私は、クリーンランゲージ&シンボリックモデリングを使っていたからだ。

ともかく、おめでたい何かが起きたらしかったので、「おめでとう〜!」と、私は適当に言った。

そして、89000円、と、おっちゃんUさんに言った。
セッションの価格だ。

私は気がついた。
朝、書いたことが起きはじめた!と。
「財は天に積め」

ジーザス貯金89000円!ありがとう!と、私は、おっちゃんUさんに言った。

しかも、おそらく、おっちゃんUさんは、もう二度と、神は神はとうるさく言わない。
SさんとTさんと私は、喜んだ。

YさんとRちゃんは、おっちゃんUさんのフィードバックを聞き、優しくフォローしていた。


私は気がついた。

そうか。
みんなが幸せにならなきゃいけない。
自分の願いが叶うその方法は、そのプロセスで、みんなも幸せになる方法しか、ジーザスは手を貸してくれない。

私のお願いを叶えるプロセスが、zoomで礼拝参加だと、幸せなのは、私だけだったと、私は気がついた。

「信仰の薄いものよ」とまた聞こえた気がした。
てへっ。

そうして、礼拝にやってこなければ、ジーザス貯金が始まらなかった。
ジーザス貯金通帳の最初の貯金は、おっちゃんUさんと、教会の仲間たちがプレゼントしてくれた。


人の幸せに協力すればするほど、貯金が貯まる。
そういうこと?

セッション代は、15000円が定価だ。
けれど、私は今日、89000円と言った。
適正価格だと思った。

つまり、私が人の幸せのためにセッションを1回すると、差額の74000円が、ジーザス貯金通帳に貯まる。

そして、利子がいっぱいついて返ってくる。
(この仕組み、私は、寄付を使って昔一度したことがある。確か、返りは100倍だ。24000円が、240万円になって返ってきたことがある。今回は、寄付だけでは間に合わない。)

ひゃっほ〜!


おっちゃんUさんは男泣きし、私は、お金!お金!財は天に積め!とはしゃぎ、そして、みんな楽しそうに笑った午後だった。

帰り道、Tさんが言った。
「実は、教会を変えようかと思っていた。」
Tさんは、おっちゃんUさんの、神は神はにほんとに参っていたらしい。


私は、心の中で、ジーザスに言った。
「やっぱり、今日は10万円。」

私は、信仰の薄き者である。
そうして、私のヨコシマな心を、ジーザスは人を幸せにする道具に使う。
だから、私は、ヨコシマな信仰の薄き者のままでいい。

ジーザスは、本当に優しい。