おっちゃんUさんが、神は神はとうるさいので、礼拝にいくのをどうしようか迷っている話(笑)

この前の日曜日、zoomで礼拝に参加した時に、聖書箇所を読み、そこの解説が終わった後、「皆さんの思うことはどうですか?」とYさんがみんなに尋ねた。
みんな色々言ってた。
当然ながら、感じることは全員違う。

おっちゃんUさんの番が回ってきて、おっちゃんUさんは予想通りというかなんと言うか、「神は、神は」と熱く語っていた。
SさんとTさんの表情がめんどくせえなと言う表情で曇っていくのがzoomでよく見えた(笑)

私も、めんどくせえなと思った。
それで、見えないのをいいことに、おっちゃんUさんが喋っている間中、SNSを見て遊んでいた。
zoomだとこういうことができて、これはいい、と思った。

皆さんの思うことはどうですか?と質問されたら、答えは、私は、または、僕は、俺は、なんでもいいけど、ともかく「I」から答えは始まらなきゃいけない。
しかし、おっちゃんUさんは、神は、神は、と主語が神様。

しかも、神はこうだと言いきりやがる。
神様の気持ちを知ってんのか?と私はツッコミそうになったが、大人なので、SNSを静かに見ていた。
まあ、好きに話していい場所が、礼拝。


人の話をちゃんと聞かないことは、時に大事なことである。


さて。
私は、最近、聞きたくない話は聞かない方針で突っ走っている人である。
聞いても誰も幸せにならんと自分が感じる話を聞きたくないと言う、世にもわがままな、許されんのかそれ?と言うことにチャレンジし始めている。

今のところ、快調にことは進んでいて、私のそんな気持ちは知らないはずの、いつもなら、聞きたくない話を提供してくれる人たちまで、話す内容が勝手に変わってきている。
(身内にたくさんいる。)

意識は現実を作るとはまさにこのことだと感動しきりである。
みんな楽しそうなので、もっと早く、このわがままを貫くと決めればよかった!とすら思う。


しかし、おっちゃんUさんの話は、おっちゃんUさんのことは幸せにしている。
おっちゃんUさんは、非常に満足げだ。
それで、「誰も幸せにならない話」には当てはまらないからだろう、私の意識は全く影響していない。
おっちゃんUさんは幸せそうだ。
何よりである。

私は幸せじゃない(笑)
めんどくせえ。
そこに「主の恵(しゅのめぐみ)」を感じない(笑)


さて、どうするか。

以後、礼拝はzoomで参加することにするか?
そうしたら、おっちゃんUさんの話のときは、SNSを見て遊んでいればいい。


そう思ったら、Yさんが私の心を見透かしたように画面の中から言った。
「一人で全部操作しているから、zoom結構大変なんで、礼拝には来てくださいよ。」

チッ。
ホーリースピリットがちくったな、と、私は思った。


迷うわ。