ずっと考えている父の言葉

長い間、考え続けてきた父が発した言葉がある。

彼は、大阪の中、いや、日本の中でも最貧困地域として知られる場所で育った。
祖母が全てを保存していた彼の通知表を見る限り、成績はずっとパーフェクトに近い。

姿が見えないと、彼は、いつでも図書館にいたと祖母や叔母が言っていた。
家は、近所の人が自由に出入りする小さな長屋だったから、図書館でしか勉強できなかったのだろう。

高校時代に、父親である祖父が労働災害で障害者になり、彼は、大学へ行くのを諦めた。
費用がかからない防衛大学を検討したらしいが、難しくて諦めたと言っていた。

彼は学校の先生の紹介で、今も通う電機メーカーに就職し、今も、週一回、そこへ通っている。
何万人もいる社員の中で、最年長だ。

彼は、自力で這い上がった勝ち組だ。


その彼が、以前の大阪府知事について、発した言葉について、私はずっと考えてきた。

その大阪府知事も、父と似たように、貧乏な育ちだ。
彼は長い間差別対象だったグループに属していたから、父よりも苦労はあったかもしれない。

その元府知事は、在任中に、差別対象だったグループと徹底的に戦って、今は、もう、自分次第で、人生がうまくいかないのは生まれのせいではない、大阪には、その差別は存在しないと施設への補助を打ち切ったりなんだりした。
確かに、私の目にも、差別は見えない。
マニアックな人は気にしているかもしれないが、大阪では、少数派だろう。


父は言った。
「彼は、努力で這い上がった人だろう?知能も能力も高いし、強い意志もある。運もよかったのだろう。
だから、彼は、がんばればなんとでもなるという論調が多い。自己責任論やな。
けどな、知能や能力は平等と違う。
環境の不公平もある。
他人の目には怠けていたり甘えているように見えたとしても、本人としては一生懸命頑張って、一生懸命頑張った結果がどうしようもない人も世の中にはおる。
そういう人は、どうしたらいいんや?
努力では、どうもならんで。」


父が自分のことを言っているのではないことは明らかだった。

この人は、たいがい自分の好きにする人だが、弱者には優しい。
我が家では、母が弱者とカウントされていたので、父は、小さい私にもよく言い聞かせていた。
(私には、母は弱者には見えない。今も昔も。弱者でいたい人に見えている。)


本当にそうなのか、そうありたいだけなのかの見極めは、非常に難しい。

私はずっと、精神的な話に関わっているけれど、精神的な話になると、その見極めは、より難しい。


私は、「生きにくい理由」に名前がついて、どんどん明らかになっていくのを見ている時に、ほとんどの場合、その特徴は自分も当てはまる。
感受性は強いし、繊細だ。(でもたくましい。)
でも、私は、生きづらさは感じていない。

それで、私は、だいたい、「自分にそれが当てはまる。だから生きづらいんだ!」と納得する人達を見て、「で?だから?」と思う。

生きづらさと、その特徴はイコールではないことを知っているからだ。
若い人には、思わないが、30歳過ぎている人については思う。
40歳過ぎている人には、20年間、何しとったんや?と不思議に思う。

そういう時、父の
「他人の目には怠けていたり甘えているように見えたとしても、本人としては一生懸命頑張って、一生懸命頑張った結果がどうしようもない人も世の中にはおる。
そういう人は、どうしたらいいんや?
努力では、どうもならんで。」

という言葉が、頭をよぎる。

同じ要素を抱えていて現れる精神的な生きづらさは、やり方に工夫をしない自己責任なのか、そうではないのか?


私はず〜っと考えている。