現実的な天使

仮想通貨の世界では、ちょいちょい見ていたのだが、世の中には、自分が手に入れたお金を見知らぬ他人に配る人がいる。
もはや、天使と呼んでいいかと思われる。

昨日、SNSで、仮想通貨ではなく、リアルなお金を配っているチェロ奏者を見つけた。
私は知らなかったけれど、有名な人なのだと思われる。
加えて、顔がハンサム。
あと22時間、彼はお金を配ってる。
彼のサイトに登録し、彼のFacebookにいいねをし、シェアすればいいだけのようだ。
ランダムに彼が適当に人を選び、50万をPaypalで送っている。
詐欺ではない感じ。

もはや、天使だ。
だって、見返りはないもの。
喜捨だ。


私は、そういうのを見た時、欲しいとは浮かばなくて、うらやましい!やりたい!と浮かぶ。

ここ最近は、時節柄、かっこいい!素敵!私もやりたい!という感じの、リアル現金をばらまく人を、チョコチョコお見かけする。

それで、捨てるお金が欲しいんだよという欲求が、私は強いことに気がついた。
お金を手に入れるより、お金を手放す方が私は好きだという、個人の嗜好。

それをダイナミックにしている人をかっこいいと感じる美意識もありそうだ。


黄色いバスは、それをかわいくしたバージョンなんだろうな。
きっと。
自分が美しいと思うこと。

いい悪いは、私の判断材料には、あまりならない。
いい悪いは、世の中で、一番、あてにならない基準だと思っている。
そして、争いを生む基準だと思っている。

私が採用しているのは、楽しい、楽しくない。
美しい、美しくない。
面白い、面白くない。
好き、嫌い。
温かい、温かくない。

ものの判断基準は、自分の感性に頼る。


それにしても。
何人かの、天使ですか?というような人を見て、ことごとく、素敵!と感じた後、そうか、私は天使になりたいのか、と、ちょっと思った。

そういえば、ブログのヘッダーの画像の自分の後ろ姿にも、羽根をくっつけている。
深い意味はなくて、メタファーで、羽根が登場したからつけただけなのだが。

ふ〜んと思った。


私の天使の概念は、お金を配ることか。
やけに、現実的な天使だこと。