わざわざお金を払っている人に、自分を幸せから遠ざける話をさせちゃいけない。

続けていきましょう。

ホームページを早く作らないと、ホーリースピリットの回し者の夫がうるさい。
この話はとっとと方をつけてしまう必要がある。
思考がまとまらないと、ホームページは作れない。

つまり、と、私は思った。
私の中にある一つはっきりした考えがまとまった。

自分がどうしてセッションをするのか?だ。
今後も、有料で。
無料でもやっているけども。

(黄色いバスが走った後は、もう、全部無料でいいけども。私がその時、生きてたらね。)


私は、人が幸せなのが好きだ。
そのためにセッションしている。
そして、セッションに来る人はお金を払っている。
わざわざお金を払っている人に、自分の幸せから自分を遠ざける話をさせちゃいけない。
グタグダした話は、お金のかからない場所ですればいい。
(ただし、同じ話は2回まで。できれば1回。3回以上はしない。理由がある。これは別に書く。)


私は、その人が気持ちの折り合いをつけるためのセッションはしていない。
必要であれば、過去の傷の癒しを扱うこともあるが、癒しそのものを目的とはしていない。
私は、レメディとして存在していない。
すでに。

セッションにはいろんな種類のセッションがある。
レメディ(痛み止め)が必要な時もある。
だから、いろんな種類のセッションがある。
たくさんの人がいる。

私が提供しているのは、幸せのためのセッションだ。
幸せは色々だが、その人が望むものを、その人の願いを、叶えていく為のセッションだ。
つまりは、生まれてきてよかったな、生きてきてよかったな、とその人が感じられるようなことがその人の人生の現実に起きることを私はサポートしている。


過去に何があろうが、傷を抱えていようが、人は幸せになれる、というのが、私の信念だ。
まずは、ともかく、笑え。


そうなので、笑えないグダグダした話を聞く時、私は、その人が幸せから遠ざかることに協力していることになる。
自分の信念に反する行動。

友人たちの愚痴はいい。
概ね、笑えるネタに彼らは仕上げてくる。
一緒に笑えばそれでいい。
笑えない時は、それは本当に困っているか苦しんでいるか悲しんでいるかの話なので、それもいい。
一緒に泣いたり笑ったりすればいい。


私が聞きたくないグダグダ話は、それとは違う。
幸せからその人を遠ざける話。

そんな話を、お金をもらってさせちゃいけない。
そう、私は、感じていたのだ。

ということが、はっきりわかったので、「じゃ、何がホームページに起きればいいでしょう?」という本題に、ようやく入れる運びとなったのだった。

めでたし、めでたし。