UFOの正体*

一夜で、私の認知に大変化が起きた。
変化は突然静かに起きる。

明け方、うつらうつらしながら、ああ、そうだ、それでいい、と思った。

そして起きてから、三年前にカリフォルニアで受けたペニーとジェームズにしてもらった何本かのクリーンランゲージの短いセッションの中で起きたこと、自分が言ったことはこれだ、と思った。

UFOというメタファーの正体はこれだ、と。
UFOは時空を超える。
そのセッションの中で、私は、自分の頭にUFOをはめこんだのだ。
使い方はまだわからないけど、と。

使い方がわかるのに3年かかったということだろう。

........

過去はない、未来はない、今もない、認知の中にしかない。
過去は実在する、未来も実在する、今も実在する、なぜなら、それを認知するからだ。
現実は全てそれぞれの脳が見せる幻である。

だととするならば、私の空想の世界もまた、過去や未来と同じではないか?と私は気がついたのだ。

それは実在する。
魔法の世界は実在する。
不思議の世界はないけどある。

過去や未来や今と同じように。

ただし、それが個人的認知だと忘れないことが必要だと。

私の生きる世界において、それらは、過去や未来や今と同じように存在する。
もはやどれが現実でどれが幻かという区別をする必要はない、と。
ただ、目で見えるか見えないかという区分だけが存在する。

過去も未来も、本当の今も、人間は知ることができない。
世界の本当の姿を見ることができる人は存在しない。


そして、ああ、だからだと思った。
若い頃、いくつかの宗教に勧誘された時、みな同じことを言った。
信じるものは救われる。

信じる人の世界に、神は実在し、信じない人の世界には神は実在しないし、また、その存在を認知しない。
例えば、無神論者の父は言い切る。
神を感じたこともない。神などいない。
しかし、彼は娘には何か信仰しろと勧めた。
もしかしたら、哲学の知識があったのかもしれない。彼の読書量は半端ないから。


過去も未来も、神も空想も、認知の仕組みとしては全部、同じだ、と私は気がついたのだった。

認知するからあるのであり、認知しなければそれはない。


だから、私が幼い頃愛し続けた空想の世界は実在するし、また、ものがたりの世界も実在する。
実在しないから、実在する。

ただ、自分の認知のままに生きていいのだと気がついたことは、私の体を温めた。
どうせ、全てが幻だ。

体は温かくなりすぎて、汗まで出た。


それが、物理的事実を伴うか伴わないかの区別がつきさえすれば、ものがたりの世界を実在するかのように扱っていい。
そうでなければ、幻想に引きずり込まれて、今にいなくなる。

ただし、今、幻想を見ているなら、それは単に過去や未来を見ているのと変わらない
全て、今、だ。


引きずり込まれないことは重要だが、今、私の現実的ニーズは、どこまで自分が、物理的事実を持たないものにリアリティを持たせられるかということになってきているから、ある程度、浸れなければいけない。
信じなければいけない。

信じるものにしか、それらは実在しないし、それは作用しない。

現実と同じように。
子供がものがたりを愛するように。


そして、必要になった時、事は起きるは本当だなと思った。

さらに思った。
私は、みんなと一緒でいたい、同じでいたいという思いが、子供の頃から非常に強かった。

そんなことは、誰にもできない、不可能なのだということをようやく理解した時には30歳を超えていた。
無理だ、この世は自分以外、変な人ばかりだ。
(私は自分を変だと思ったことは一度もない)


そして、それは本当にそうだということを、クリーンランゲージを通して理解した。
社会は多様化したのではない。

人はもともと、多様なのだ。
隠しているか、自分を理解していないだけだ。

そして、個を追求する気になったのだ。
知り得るのは、自分のことだけだ。
あとは、全て、推測しかできない。

多様だと理解したことで、逆説的に、自分は、みんなと同じだと私は理解したのだ。
そして孤独はすっかり消えた。


そして、UFO。

で、今。

UFOと今の間には、三年分の出来事がある。
非常に現実的なことだ。


そして、今、なんだか降り出しに戻った気分になった。
小学生くらいまで住んでいた世界に。
体が軽い。


「そして、これらがこのようである時、次に何が起きるだろう?」