ある友人の才能

私のこれは才能だと思うとある友人が言った。

友人は、毎日、同じ時間の電車に乗り、同じ職場に通っている。
もう20年以上。

変わらない人間関係の中で仕事を続けている。


この一見平凡なそれこそが才能だ、と彼女は言った。


友人が持つのは、同じことを飽きずに続けることができるという才能。

私は、全くその通りだと思うと言った。
すごいよね、本気でそう思う、と。

毎日、同じ時間の電車に乗る、まずそこから私には無理だと私は言い、友人は、もちろんあなたには無理だと笑った。


社会が安定しているのはこの素晴らしい才能を持つ人々のおかげなのだが、だがしかし、この才能は軽んじて受け止められる傾向があると私が言うと、おかしなことよねと友人は言った。

そして、私は自分の才能はすごいと思うわと言った。
同じ才能を持つ人は多いけど、これが才能だと気付いている人は少ないような気はするけど。


友人が持つ才能は、継続力、安定力、忍耐力。
それから飽きないための創意工夫。創造性。
自分なりの目標を定める向上心。協調性。


彼女の働く理由は非常にはっきりしていて、彼女が働くのはお金のためである。
理由がはっきりしているので、仕事について彼女が迷うことは少ない。

自己実現?綺麗事?世界を変える力?私にはないない、というスタンスがはっきりしている。
全くぶれない。見事。

彼女が働く理由はお金のためだけれど、彼女の仕事ぶりが優秀なのは、彼女のポジションが変化していくことからわかる。
彼女が会社の役に立っているのは間違いない。
本人はあまりそれは気にしていないようだが。

自分はやることをやっているだけで、どうでもいいというように見える。

それもまた才能なのだと思う。

友人は実に才能豊かな人である。
ほんとに。
自分の人生の受容の仕方も見事。

気づいてる人とは、彼女のような人のことをいうのだろうといつも思う。
普通にしているからわかりにくいけど、何か悟ってる感じすらする。

きっと悟ってる人は、悟ってることなんて気づかないまま、普通の社会の中にいるのだろうと感じている。
その人達にとって、それは大事なことではないのだろう。


*この日記はフィクションです。