仮想現実
オーケストラが演奏するジュピターを聞いていたら、ふと浮かんだこと。
私たちが生きている世界が、誰かの頭の中に存在する仮想現実だとしても全くおかしくない、そうでないという事実は確認できないという論を、何人もの人が発言している。
科学者だったり、ITの専門家だったり。
それで、小学生いっぱいくらいまで信じていたことを思い出した。
その頃まで、私は、世界は2つあると信じていた。
夜に見る夢のせいだ。
何度も繰り返し見た同じ夢があった。
自分には視線だけしかなく、いつも、その視線は地球を見下ろしていた。
小さな箱庭のような地上の景色には、小さな人や小さな建物、いろいろなものが見えた。
そして、自分の視線が、だんだん地上に近づいていって、地上にぶつかるというところで、いつも必ず目が覚めた。
私の夢はカラーのことが多いが、その夢はまた一段と色鮮やかだった。
眠るというより、もうひとつの世界に行く感じがしていた。
私は母に言った。
お母さん、知ってる?
世界が2つあるって。
寝ている時の世界と、起きている時の世界。
起きてる時は、誰かの夢の中を生きてるのかもしれへん。
母は言った。
そういうこともあるかもしれないわね。
彼女は否定も肯定もしなかったので、私は、やっぱりそうか!と思っていた。
(うちの子が言うことがさっぱり理解できないと、彼女が悩んでいたのは当時知らなかった。)
その夢は、中学生になった頃、ぱたっと見なくなった。
人生が誰かの仮想現実の中にあるかもしれなくても、私は驚かない。
そして、その考えは、多くの人が、仮想現実という言葉でなく普通に受けいれているということは知っている。
別のコンセプトで。
導かれる、とか、運命、とか、宿命、とか、似たようなコンセプトは昔から存在する。
自分以外の誰かの意図が、人生に反映されているというコンセプト。
宗教はほとんどそうだろう。
神の意図がそこにある。
人生は、誰かの仮想現実かもしれないよと発言する人が登場したことは、運命論より納得できる気がした。
まあ、答えは死んでみればわかるかもしれない。
死ぬまでわからないことがいくつもあることは、悪いことじゃない。