知らんけど、もしかして。

M先生が、「過去について考えている時、それは過去について考えているのではなく、過去を考えている今について考えている。」と言った時、私は思った。

なんのこっちゃ。

「だから、過去は変えることができるし、過去を癒すことができる。起きた事実は変わらない。ただ、記憶の中にしか過去は存在せず、加えて、記憶はいつでも今にある。」

私はまた思った。
なんのこっちゃ。


早いもので、ほぼ20年前の話だ。
それらを理解するのに相当な時間を費やした。

それらが事実だと、少なくとも私には真実だったと、今、私は知っている。
過去はいまや以前の過去とは別物である。


そして、最近、ある友人と軽くお酒を飲んで話した後、M先生を思い出し、なぜに今までこれが浮かばなかったかと思った。

未来も一緒ちゃうん、仕組みは?

未来を考える時、それは、未来のことを考えているのではなく、未来を考えている今について考えている。

未来に手は届かない。
未来について考えている今は、変えられる。
だから、未来を思考で変えられる。

M先生はとうの昔に死んじゃったので、彼が残した言葉に当てはめてみよう。


未来について考えている時、それは未来について考えているのではなく、未来を考えている今について考えている。

だから、未来は変えることができるし、未来を癒すことができる。起きる事実は変わらない。ただ、思考の中にしか未来は存在せず、加えて、思考はいつでも今にある。


ようするに、過去も未来も変えられない。
変えられるのは今だけで、今を変えることで、過去と未来に対しての認識が変わる。
それが、言動や振る舞いに影響するので、未来の現実が変わる。


そういうことでしょうか?とM先生に尋ねてみたいが、返事はなかった。
そりゃそうだ。

死人に口はない。

そして、だから、クリーンランゲージ&シンボリックモデリングのセッションの中で作った未来は現実化しやすいのかもと気がついた。
それは全て現在形を使用して質問をする。
現在系で未来を尋ねられること、今のこととして未来を扱うことが脳みそにとっては、自然なのだと。

デイビッド・グローブに聞いてみたいが、こちらもすでに鬼籍の人。

仕方ないので、自分で考え続けることにした。
彼らの脳は私にはないのに、なんて涙ぐましい。

私はほぼ直感的に思った。
全部現在系で考えることが脳には自然だけど、多分、どこかの時点で、脳はそのやり方をやめたのだ、きっとと。


そして、国営放送さんのドキュメントで以前に見たアマゾンのある原住民の民族の話を思い出した。

彼らの使う言語には、時制が現在系しかない。
加えて、and、そしてにあたる接続詞が存在しない。
彼らの文化には時計はない。
彼らの話には、前後の脈絡がない。
今しかない。

しかし、彼ら同士の話では、彼らは相手が今のことを話しているのか、過去について話しているのかがわかるのだという。

確か、彼らの言語には、昨日とか過去を表す単語もなかったように記憶している。


私は、時計か!と思い、そして、何人かの物理学者が、時間は存在しないという論文を発表していることを思い出した。
そもそも、過去も未来も存在しない、今しか存在しないし、その今は0.5秒前に起きたことを認知してるだけ、だから、厳密には、今も存在しないというような話。

これも確か国営放送さんのドキュメンタリー番組。
(ここ数年、国営放送さんが放映する海外の科学とか哲学、心理学のドキュメント番組がだいぶ面白い。受信料のもとはしっかり取れている。)


もしかしたら、時計が生まれた時、脳みそは何かを変えたのかもしれないなあ、そして、自然だと思っている思考回路は、実は、脳みそには負担がかかってるのかもしれないなと思った。

そして、新しいとされている思考方法は、実は、とっても古い脳の使い方なのかもしれないと思った

知らんけど。


まあ、ようは、今しかないということだ。
人生には、今しかない。
あるのは、過去という今、未来という今、そして、0.5秒前の今。


面白かったのは、そう思った瞬間、私の体が部屋を掃除し始めたことだった。
今しかないなら、絶えず、きれいな場所にいたい!と思ったのだった。

だいたい、ちいちゃい話に収まる不思議。
なんでか知らんけど。